dance.

 先日、久しぶりにメトロに行ったときに、どうして最近メトロにあまり行こうと思わないのか分かった。それは単にナイトクラブに飽きた、ということだけではなくて、12時以降メトロからの外出が禁止されたせいではないかと思うのです。

 いつから12時以降の外出が禁止になったのか良く覚えていないけれど、数年前までは出入りが自由だった。やがて、外で騒ぐのがうるさい、ということで12時以降は外出禁止になった。
 これは、メトロというナイトクラブを随分損なったと思う。
 メトロはチルスペースがない代わりに、疲れたら鴨川でチルアウトができる、といういかにも京都らしいアドバンテージを持っていた。実際、僕達は誰かとじっくり話をしたくなったり、あるいは疲れたりしたとき、外に出て、階段を登り、川端通りを渡って鴨川へ行った。大騒ぎしている室内を後ろに意識して、静かな川べりにいることは、それはそれで特別なことだった。ある意味では、僕達は外にいるときより強い結びつきを覚えた。でも、そういったことはもうできない。今はただ、夜中から朝方まで、ずっと音の溢れる中にいるだけだ。それは僕にとってはあまり嬉しいことではない。

 夏の朝方に、踊りつかれた体を川沿いに横たえて、そうして白く変わっていく空をくらくらと眺めた。
 僕は考える。「たぶん今言葉で考えようとしてるんだろうな、この人はって思ってた」って、Wそれは全くの正解だよ。風にはためく服のヒラヒラがダンスである可能性を議論するなんて、僕の20分間はそんなことのために存在していない。ダンスのダンス性は人間に担保されている。人が踊らないダンスはダンスではない。理屈の問題ではなくて、これは体の問題だ。