pi.

 たとえば、光はまっすぐに進むだけではないし、本質的には全空間に渡る無限の経路を確率的に持っていて、同様に光の反射の入射角と反射角は別に等しくない、反射するとき光子は鏡の中の全電子と相互作用する。電子は別に原子核の周囲をぐるぐる回っていない。そういうのは全部100年前の考え方だ。
 でも、一般的な物理教育では100年前の考え方が未だに幅を利かせている。多分、それら古い”間違った”考え方が僕達にはしっくりくるからだ。その上、日常生活にはほとんど差し障らない。

 先日、Hが僕の「イメージできないことを考えることはとても困難だし、だいたい分かったという感覚に辿り着かない」というのを受けて、「でも、わかったというのがどういうことなのかとても難しいことだけれど、論理的に積み上げていったものがある結果を出すのなら、べつにイメージできなくても分かったといえなくもないのではないか」というようなことを言った。

 確かに、僕はイメージにこだわりすぎるきらいがある。宇宙は僕達のイメージを遥かに超えた仕方で作られていて、イメージは半分くらいしか役に立たない。そこから先に切り込んで行けるのは論理だけだ。その結果がしっくり来なくても、それは受け入れるしかない。つまり、僕は自分の持っている「そうか、分かった」という感覚をあまり信用しすぎてはならないのだと思う。良く分かった気がしないけれど、論理的には確かにそうだ、ということを「分かった」だと認めなくてはならないのかもしれない。