レストラン。

 東京へ引っ越す前に、Yから冷蔵庫を貰った。僕がもともと持っていた冷蔵庫は、その昔懇意にしていたリサイクルショップから無料で貰ったものだった。冷蔵庫は売り物にならないくらいに傷んでいたわけだけれど、でも僕はその古めかしい風合いと手頃な大きさや色合いが気に入って、4年以上の長きに渡ってその冷蔵庫を使っていた。でも、ものというのは壊れる。気に入ったスニーカーを毎日履いて、それがどんどんとくたびれていくのを眺めるのと同じように、僕は冷蔵庫が機能を低下させて行くのを見ていた。最初の3年か3年半の間、冷蔵庫は全く正常に機能していた。問題点といえば、ときどき音がうるさいくらいのものだった。冷凍庫に霜が付き易かったがそれほど気にはならなかった。

 しかし、4年が経過する頃、霜の付く速度は尋常ではなくなり、やがてそれは霜ではなく氷と呼ぶほうが相応しいものになった。氷は日に日に成長し、冷凍室の蓋は閉まらなくなり、僕はナイフや工具や炎やドライヤー、電熱線を駆使してときどき氷を取り除いたが、それははっきりいって重労働で数時間を必要とした。

 そうして、僕は冷凍室を開かないように固定して封印するに至った。つまり、21世紀にも関わらず僕は冷凍室のない生活を余儀なくされた。冷凍食品は買うことができず、余った肉を冷凍保存するという生活の知恵を使うこともできなくなった。コンビニエンスストアやスーパーマーケットでアイスクリームを買った場合は、部屋に帰ってすぐにそれを食べる必要があった。

 ならさっさと新しい冷蔵庫を買えばよかったのではないか、という意見はもっともだ。でも僕はさっきも書いたようにその冷蔵庫のことがまあまあ気に入っていた。冷凍庫が使えないくらいはなんでもない。

 だけど、虫歯を放っておけばどんどんと悪くなるように、あるいは年老いた象が群れを離れるように、僕の冷蔵庫は不具合の度合いを大きくしていった。ドアのパッキンは劣化し、冷蔵室内に水が溜まるようになった。水は主に冷凍室からやってくるものだった。冷凍室の中では氷が成長し、氷は封印された扉をこじ開け、そうしてできた隙間で外気と接触して溶けた。水は当然重力に従い下へと流れ落ち、劣化したパッキンの隙間から冷蔵室に入り込み、蒸発皿のキャパシティを上回るだけの水が冷蔵室ないに溜まることとなった。冷蔵庫に仕舞われたホウレン草やニンジンやバターがびしょ濡れになり、冷蔵庫はその役割を果たすことができなくなった。
 僕は冷蔵庫を使うのをやめた。

 つまり、僕は21世紀にも関わらず冷蔵庫のない生活を送るはめになったということだ。ちょうど冬のことだったので、それほどの不自由は感じなかった。春に引っ越すとき冷蔵庫を上げるよ、とYが言ってくれたので、春までは冷蔵庫のない生活をすることにして、実際には大した不便がなかったので、僕は冷蔵庫なんて本当はいらないんじゃないだろうかと考えた。

 I君とYの部屋まで冷蔵庫を貰いに行って(ついでに手製のブックスタンドも貰った)、部屋に冷蔵庫を備え付けると、僕はスーパーマーケットで買い物ができないというのがどれだけ不便なことだったのかを思い知った。僕はその次の日、スーパーマーケットで思う存分買い物をした。冷凍食品もアイスクリームも買った。そして部屋に帰ってピカピカの(Mちゃんが信じられないくらいきれいにしてくれた)冷蔵庫にそれらを放り込むと驚くほど豊かな気分になった。僕の部屋には食べ物がたくさん蓄えられているのだ。

 そのような経緯もあり、僕はこの春先自炊というものに目覚めていたのですが、気候がその暖かみを増加させるにつれ浮かれ心地になったのか、ここ1週間くらいは全ての食事を外食で済ませていて、当然ですが驚くべきスピードでお金が減ってしまいました。でも、それはそれで悪くはない。