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 息の仕方を知っているなんて奇跡だぜ。と夢の中でディランに言われた。半分記憶が失われたその夢の断片にはどこにでも君の姿が登場して、内容が良く分からないのに、でもそれ自体はとてもいとしいものだったと分かる夢の記憶をなくさないように、僕はゆっくりと起きて、そして静かに歩いた。人は自分の属さないところへ行ってはいけない、道の向こうの家を天国と間違えるな。というディランの言葉を最初に聞いたとき、僕はまだ17歳で、そして言葉の意味を理解することができなかった。僕は今いるべき場所にいる。遠い昔から知っていた場所だ。僕達は言うだろう。

 この春から、結構たくさんの友人達が、大学や大学院を卒業してどこかの街へ移り働きはじめる。僕はそのまま同じ研究室で博士課程へ進むので、生活はほとんど変化しない、と思っていた。だけど、どうやらそうではないようだ。どうしてこうなったのか分からないけれど、研究のことが頭の大部分を占めるようになってしまった。たぶんこれから研究者としてやっていこうと考えている人間にとって、これは悪い変化ではないのだろうけれど、軽い焦燥感がいつもつきまとって、生活がなんだか慌しい。トータルで考えれば、研究というのは世界中でたくさんの科学者によって行われていて、それは24時間365日休みなしに動いている。だから本質的には日曜日も祝日も関係がない。たとえば僕が今取り組んでいることに関しては、同じようなアプローチを試みている研究機関がいくつかアメリカを中心にしてあって、その人達が次に僕達の出そうとしている論文と同じことをいつ思いついて提出するかは分からない。そういう風に無数の競争相手が世界中にいるというとき、僕は自分の生活をどのようにマネージメントすればいいのだろうか。
 こういう感覚にも、すぐに慣れて、極々当たり前に生活を行うようになるのだろうけれど、それまではすこしおかしな生活になりそうだ。住む場所も、通うところも変化しないけれど、これは僕にとって全くの新生活だと言える。

 愛しかない、それが世界を動かしている.って、もう照れたってしょうがない。ディランはクールだった。
 僕達はマリー・アントワネットのことを描いた、半分なにかのバンドPVみたいな映画を見た後、とくに行く先もなく、大津プリンスのスカイラウンジにでも行って何か飲むことにした。だけど結局、お腹が空いて代わりにご飯を食べに行く。地上数十階から、地面に戻り、湖の畔を歩き、僕は鞄に入っていたボールを取り出してみたけれど、キャッチボールをするには少し暗すぎた。あきらめて歩き続ける。いつも僕達は歩いてばかりだ。