7.

 明けましておめでとうございます。
 なんて言ってはみるものの、お正月というのも年々雰囲気を失いつつあって、僕にはもうあまりぴんと来ません。
 西暦2007年ですね。もう3年経つと2010年で、2010年という西暦を見ると僕は未来らしい未来を夢想しないではいられない。自動車が空を飛んでいるはずの夢見られた世界。もちろん、自動車が空を飛ぶだとか、お手伝いロボットがいるだとか、そんなのは些細なことで、本質的にはどうだっていいことですが。僕たちに必要なものは食べ物とか健康とか恋人とか友達とかそういったものだ。

 年末年始は随分と気の抜けた生活をしていました。昼下がりに起きて、だらだらとしていると夕方になり鍋の買出しの時間が来て、友達とスーパーマーケットへ行って買い物をして、誰かの部屋で鍋を食べて夜中か朝方に帰り、朝に眠り、また昼下がりに起きて、買出しをして鍋をして、というような生活です。それから怪傑ギリジンの歌が頭から離れなくなりました。まいったな。

 大晦日にかかってきた中学からの友達Mの電話で、彼がこの夏に結婚することを知りました。僕は人前係を頼まれました。元旦の昼に、そのMと、こちらも中学以来の友人であるTと3人でご飯を食べに行き、僕は未だに学生なんてしているけれどMもTもバリバリと働いているので、仕事の話や、それからMの結婚の話をしていると、今はとても古ぼけて見える地元というロケーションも手伝って、時間は随分と経ったなあと思う。もう3年経つと、僕は30歳で、そして30歳という年齢はちょっとしたものだ。つまり、今の27歳という年齢もちょっとちょっとしたものだ。中学生の頃、僕達は30歳になった自分というものを考えることができなかった。27歳になり、今更こんなことをいうのもおかしなことだけれど、僕は今でも自分が30歳になるのだということを考えることができない。だけど、僕は当然歳をとるし、健康で事故に合わなければ40にも50にも60にも70にも80にも90にも、あるいは100にもなるかもしれない。

 もちろん、歳をとった自分なんて、それがたったの1年先のことであってもうまく想像することはできない。僕は1年前の僕が想像しなかったことを今している。想像しなかったことを考えている。1年でなくてもつまるところは1月でも1週間でも1日でも、本質的にはそれが未来で未知である以上、僕は先の自分を想像することができない。夢想し、イメージはするけれど。

 ボブ・ディランが「時代は変わる」の中で、誰が勝って誰が負けたのかなんて、まだ分かりっこない、ルーレットはまだ回り続けているのだから、というようなことを言っているけれど、この頃はそれを痛いほど感じる。東洋風に言えば、塞翁が馬ということだけど、僕らは往々にして失くしたと思ったものを取り戻すことがある。ただし諦めなければ。それには長い時間がかかることもある。

 年のはじめだし、とりあえず今年の目標みたいなことを宣言するのも悪くはないと思うので書いてしまうと、僕は今年から「整理整頓」を心がけようと思う。きちんと整理整頓ができないせいで、これまで随分と困ったり損をしたりしてきた。今も論文を書くためにパソコンの中に眠っているはずのデータやファイルを取り出そうとしているのですが、整理されずにてんでばらばらなところに仕舞われていて、さらにファイル名も今では自分でもそれが何を意味しているのか分からないような略語になっているので、もう何がなんだかさっぱり分かりません。おまけに、たとえばプログラムなんかはちょっと書き直したものに別の名前をつけて保存しているので、ファイルを開いてみてもほとんど全部一緒だけど変数の値が一箇所だけ違っているだとか、もうこれとこれは違うものだという見分けをつけるのだけに30分かかったりするものが何個もあります。なんて間抜けなんだろう。