翻訳文学。

 1989年に発表されたフリッパーズギターのファーストアルバム「Three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった」の全作詞を小沢健二が担当したことは知っていた。以降のフリッパーズギター作品も、その文学性においては小沢健二という人に大きく依存している。それは1991年にフリッパーズが解散し、小山田圭吾小沢健二がそれぞれソロで活動するようになれば明白に分かる。小山田圭吾コーネリアスは「音」であり、小沢健二は「詩」だということが随分とくっきりしている。

 僕は世界で一番好きなバンドがフリッパーズで、もちろんコーネリアス小沢健二も聞くわけだけど、言葉使いにおいて小沢健二の影響を随分受けていることは自覚している。

 例にフリッパーズのファーストアルバム収録曲のタイトルを並べると、

1、Hello/ハロー:いとこの来る日曜日
2、Boys Fire the Tricot/ボーイズ,トリコに火を放つ
3、Joyride/すてきなジョイライド
4、Coffee-Milk Crazy/コーヒーミルク・クレイジー
5、My Red Shoes Story/僕のレッド・シューズ物語
6、Exotic Lollipop (and other red roses)/奇妙なロリポップ
7、Happy Like a Honeybee/ピクニックには早すぎる
8、Samba Parade/サンバ・パレードの華麗な噂が
9、Sending to your Heart/恋してるとか好きだとか
10、Goodbye, our Pastels Badges/さようならパステルズ・バッヂ
11、The Chime will Ring/やがて鐘が鳴る
12、Red Flag on the Gondola/レッド・フラッグ

 音楽を聴くまでもなく、すでに一曲目のタイトルを見ただけで何を表現したいのかが正確に伝わってくる。
 「Hello/ハロー:いとこの来る日曜日」、完璧な表現。
 昨日の僕の投稿のタイトル『 a doughnut girl in the pool(プールサイドで飛び跳ねろ)』はこれらの単なる真似にすぎない。

 昔付き合っていた恋人が、僕の音楽の好みは明らかに渋谷系なのに、でも「フリッパーズギターはちゃんと聞いたことがない」というのを聞いて不憫に思い、フリッパーズのCDをかけてくれたとき、はっきりいって僕の人生は変わった。人生が変わったなんてオーバーな表現だけど、でもど真ん中だった。日本の音楽史を語るとき、ときどきフリッパーズ以前以後という区分が用いられる。僕の人生においてもフリッパーズ以前以後という区分は有効だ。

 小沢健二が東大を出ていることも勿論知っていた。
 だけど、これは知らなかった。小沢健二はなんと柴田元幸ゼミだったのだ。
 そういうことなのか。なんだ。
 僕の中で色々なものが繋がった。
 初めて柴田元幸さんの文章を読んだとき、僕は「これは村上春樹じゃないか」とびっくりした。あとで知ったのだけど、それもそのはず、柴田さんと村上さんはとても仲が良くて、柴田さんは村上さんの翻訳にチェックを入れていて、その中で村上春樹の日本語運用というものを学んだと本人が言ってらしゃる。曰く、「村上さんは日本語はとても上手だけど、英語の細かいところがときどき怪しいから、そこを僕が直して、逆に村上さんの翻訳から日本語の使い方を学んだ」

 僕は子供の頃まあまあたくさん本を読んだ。だから、たくさんの人から影響を受けているのは受けているはずだ。でも、自覚できる人となると限られてくる。はっきりと自覚しているのは、太宰治村上春樹小沢健二の3人で、そのうち同時代に生きる村上春樹小沢健二の2人は「柴田元幸」というハブに連結している。

 そうか、柴田元幸さんだったのか。


2006年11月7日火曜日

 プログラムが10の159乗という、もはや意味のない異常な数字(たとえば10の79乗が宇宙に存在する全原子数だと言われています)しかはじき出さないので、あちこちデバッグをするも、一向に変化の気配がなく、疲れて困り果てていると、なんとコンパイルにかけているファイルの名前を間違えていた。ファイル名中のnとmをタイプミスして打っていたため、僕はあちこち修正しているのとは別のファイルを何度も何度もコンパイルして実行していて、結果がずっと10の159乗のままだったというわけだ。nをmに変えてコンパイルすると全てがうまく行った。こんなことに半日も費やした自分を嘆く。
 Kちゃんに成り行きで金槌とノコギリを貸すと、彼女はそれをいつものカバンに納めて、それは日常と非日常に関する何かを象徴する仕草だと思ったけれど、どういうことなのか自分でも良くわからない。
 お腹が空いて仕方がないので、夜ご飯はお弁当1個とポテトチップ1袋、オーザック1袋。冬は油物ばかり食べてしまうけれど、寒さ対策に必要なのだろう。

2006年11月8日水曜日

 昼にコープでお弁当とパンを買っているとOにばったり会う。「最近お腹が空いて仕方がないんだ」というと、「君の最近のお昼ご飯の量には着目していた」と言われる。
 国際企画課を、宿舎のことで訪ねる。
 I君と、Iが日本に残していった自転車を取りに行く。
 Oと夜ご飯を食べに食堂へ行くと、思ったよりも人が多い。出口でMさんに会い、今週末もトレイルはどうかという話になる。
 正にならないとおかしいのに、計算の結果がマイナスで出てげんなりして帰る。

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