庭先トリップ。

2006年10月21日土曜日

 Y亭にて今期初鍋、超満員の部屋の中は二つの鍋でとても暑い、と思っていたら窓際の人は寒いくらいだと言う。
 帰り道、少し雨が降る。そういえば今日は鞍馬の火祭り時代祭りだそうだ。鞍馬の火祭りは去年行って、同じよう雨に降られた。丁度一年。


2006年10月25日水曜日

 夜8時から大文字登山。
 Mちゃんとはクラブ以外のところではじめて会う。
 12人の人間が話をしながら、懐中電灯片手に真っ暗闇を歩くのは、「ホビットの冒険」をどことなく連想させた。そんなシーンはなかったと思うけれど。懐中電灯って素敵ですね。
 帰りに公園でフリスビーで遊ぼうとしたら暗すぎて見えない。地面に落ちる音を聞いて初めて相手がどこに投げたのかが分かる始末。


2006年10月27日金曜日

 中国からの留学生Iが今月末で日本を発つので、お別れ会バーベキュー。
 暗いのは嫌だ、ということで発電機を出すことにし、どうせ発電機を持っていくのならスピーカーも、じゃあプロジェクターも、ということになって初期の中洲パーティーそのものになる。
 いかにもお別れ会らしいのは苦手なので、特別なものは用意しなかったのだけど、Mちゃんがキャンドルを用意していてくれたので、それらしい儀式めいたことができた。
 これを書いている今日Iにはもう一度会うけれど、次はいつになるのか分からない。ただ、上海というのは実際のところそう遠くでもないし、僕たちはまた会うことになるだろう。
 片付けに車を使わなかったので、みんなが荷物運びを手伝ってくれてとても助かった。最初何往復かする覚悟だったのが、一回で全部済んだ。ありがとう。


2006年10月28日土曜日

 1時半から御所でバドミントンとフリスビー。
 Kは前日のバーベキューお別れ会に参加して片付けも手伝ってくれたに関わらす
、「朝8時に起きてサンドイッチ作った」というタフネスを発揮する。僕は朝の5時に眠って起きたら12時半だった。
 力いっぱいバドミントンをするとT君の持ってきてくれたラケットのガットが切れてしまった。しかもラケット2本も、ごめんなさい。
 I君が投げたフリスビーが、柑橘系の実のなっている木の随分と高いところに引っ掛かってしまい、お茶のペットボトルをぶつけて取ろうとしていると、投げ上げたお茶まで木の上にのってしまった。
 その様子を近くで男の子とサッカーをしながら見ていたお父さんが、「このボールを使ってください」とサッカーボール片手にやってきて、「いえ、そんな、ボールまで木にのってしまいますよ」と遠慮する僕らを尻目にサッカーボールを投げ始め、サッカーボールが何度か命中するがフリスビーは一向に落ちる気配がない。
 そこへ、小さい女の子3姉妹とその両親が通り掛かり、女の子は「わあミカンだ」とおおはしゃぎしてお父さんに肩車を頼み、ミカンをもぎ取ろうと木の枝を引っ張る。その振動でお茶が落ちてきて女の子に命中しては危険なので、僕は「すみません、ちょっとそんなことをするとお茶が落ちてくるかもしれないので危ないです」と事情を説明して、木に引っ掛かったフリスビーに興味をそそられた姉妹は、隣の木にちょっと登って、「ここにもう一本木があったら簡単にとれるのにね」とあまり意味の分からないことを言い出したので「そうだねえ」と僕は適当に頷いて、サッカーのお父さんは再びボールを投げた。
 僕のフリスビーというのは普通の円盤ではなくて、ちょうどドーナツのように穴が開いていて、そこが枝に引っ掛かってしまったのですが、「ミカンを一つとって、それに紐を付けて投げ、フリスビーの穴の中に通せば紐を通じてフリスビーがとれるのではないか」という作戦を僕たちは思いつき、ちょうどぼろぼろではあるもののビニル紐があったので、それを用いてI君T君Kがひも付きミカンを作りだした。僕はそのプランを姉妹に説明し、すると長女らしき女の子が「ミカンに紐付けて投げるんだってー、穴に通すんだってー、無理に決まってるのにー」というようなことを父親に笑いながら言うので、僕は「ちょっと笑わないでよ、真剣なんだから」と弁解した。
 そうこうするうちに「できたー」とI君が紐付きミカンなる謎の物体を持ってきたので、それを何度か投げていると、多分5投目くらいでミカンは見事にフリスビーの穴を通過し、我々は無事にフリスビーを回収、さらにはその弾みでお茶のペットボトルまで回収することに成功した。僕は姉妹に向かってガッツポーズをしてちょっと得意げな顔をしてやった。サッカーのお父さんは「おめでとうございます」と言ってくれて、僕は「お騒がせしました。ありがとうございます」と言った。


2006年10月29日日曜日

 Cちゃんとご飯を食べていると、テレビに若年性認知症の人が出ていて、思わず泣きそうになった。たぶんテレビを見ていたのが一人でだったならば、僕はどうしようもないショックを受けていたと思う。

 僕たちは忘れる。
 アルツハイマーではなくても、僕たちは色々なことを忘れていく。もちろん、忘れるという機能がメリットである場合も多々存在するだろう。だけど、本質的に「忘却」という言葉には悲しさと狂おしいまでの喪失感が伴う。

 僕は基本的にハッピーエンドでない物語が嫌いだという、どうにも幼稚臭い性格を持っているのだけど、もっとも嫌いな悲しい話の終わり方は、「忘れてしまう」というやつです。
 たとえば、子供向けの漫画か何かで、主人公たちがどこか異次元みたいなところで地球を救う大活躍をして、そのあと、残念だけど記憶は消さねばならない、みたいな変な掟か何かのせいで記憶が消されて、ともに戦った仲間なのにもはや他人のように学校ですれ違う、といった終わり方です。
 僕たちの頭に残された記憶と、彼らの失った記憶のギャップで、僕たちは悲しみを受け取らずにいられない。

 基本的に、人間というのは記憶を作るために生きている。
 記憶というのはその人のアイデンティティそのものだ。

 忘れるのが怖いと、彼は語り、いずれは妻のことすら忘れてしまうであろうことを自覚していた。
 それはぞっとするほどの恐怖に違いない。

 ただ、僕たちは一度正しく書き込むことに成功したならば、想像以上の量の記憶を脳に詰め込むことができるし、それは消えない。きっかけさえ与えてやれば、たいていのことは思い出すことができる。
 だから、人は写真をとり、日記を書く。写真をとるという行為は、今を忘れているであろう未来の自分を見越した行為であり、写真をとる瞬間、今はすでに過去にある。

 僕は照れくさくて、カメラを持っていてもあまり写真を撮らないので、随分とたくさん後悔しています。
 だから、これからはせめて日記くらい小まめにつけようと思う。