色彩の回転する洗濯機の平和的な利用。

 夏の間ベランダに巣を張っていたクモがいなくなった。

 そのクモは僕の洗濯機とベランダの手摺との間に巣を張っていて、そこに住まれては布団が干せないということになってしまうのだけど、僕はクモがそこに住むことを容認していた。ベランダは部屋の東側にあり、夏の朝は強い日差しが当たる。僕は顔に熱い日の光を感じて、その耐え難さに目を覚ます。だけど、クモは身じろぎ一つせずに、澄ました顔をして、やっぱりそこにあった。
 僕は彼にモーガンと名前を付けた。

 モーガンの巣は片一方が洗濯機に繋がっているので、僕が洗濯機を回すと彼の棲家は大変な勢いで振動した。でも、モーガンはやっぱり涼しい顔をして、もはやゴミがたくさんくっついた巣の真ん中でじっとしていた。

 僕は毎日のように洗濯機の振動に揺られ(特に脱水のとき、それはもうひどいものだ)、焼け焦げるような日の光で曝されるモーガンは、ひょっとするともう死んでいるのではないかと時々疑った。
 もちろん、クモは死んでしまうと足が内側に曲がるので、生きているか死んでいるのかは一目瞭然であり、そしてモーガンは一目瞭然に生きているはずなのだけど、でもその環境はあまりに苛酷すぎるのだ。僕が顔に浴びるだけでも熱い太陽光線を、モーガンは全身で浴びている上に、いつどこでどのように水を飲んでいるのかまったく分からない。数時間で干上がって死んでしまうほうが当たり前に見えた。洗濯をするとき、僕はときどきモーガンの巣に水滴を落としてみた。もしかするとモーガンがそれを飲むのではないかというのと、もう一つは彼の生死を確認する意味合いがあった。モーガンは水が命中するとピクリと動いたけれど、取り立てて騒ぎはしなかった。むしろ迷惑そうだった。僕は水をかけるのをやめた。そんなことをしなくても生きている証拠にモーガンはどんどんと大きくなっていった。

 モーガンがいなくなったのは、いまいましい蚊がほとんどいなくなった秋の始まりのことだ。鳥に食べられたのか。どこかへ旅に出たのか、僕には分からない。
 窓の外をみると、そこには主がいなくなり、廃墟と化したモーガンのゴミだらけのクモの巣がだらしなくぶら下がっていた。それは夏の間干せないでいた布団を干す絶好のチャンスでもあったが、僕はモーガンの巣をそのままにして、いまだに布団が干せないでいる。