緑の豊かな未来都市。

 先週のいつだかKとJと昼間に御所でバドミントンやフリスビーをして、それ以来やけにフリスビーが欲しかったので昨日フリスビーを買いました。エアロビーという航空力学的に計算された形状のもので、僕が買ったのは小さい方ですが、大きいほうは400メートルも飛ぶそうです。僕は実は同じものを子供の頃にも持っていて、人生で2回同じものを買うのはなんとなく気が引けたのですが、もう実家にもないだろうし、思い切って買い直しました。まさかまた同じものが欲しくなるとは思いもしなかった。

 Jはハンガリー人の女の子で、何の研究をしているのか聞くと「日本社会における性差」などと恐ろしいことを言うので、最初僕はウーマンリブの人なのかと思ったのですが、特にそんな様子もなかったので安心した。
 ただ、僕が shit とか stupid とか上品ではない言葉を使うとなんとなく気分を害するようだし、少しだけ言葉に気を付けてなるべく上品に話をすることにした。

 とは言うものの、僕はネイティブでもないし、良く訓練されているわけでもないので、一体どのような言葉がどの程度のインパクトを持つのか、どれくらい下品なのか、ということを正確には判断できない。shit なんて、みんな日常的に使っているし、たとえば僕の英語会話に最大の影響を及ぼしているであろう「フレンズ」では、shit は別に普通の「しまった」みたいな感じに見えた。でも、確かグーニーズでは母親にそんな言葉を使ってはいけないと怒られていた。さらにグーニーズで僕は disgusting という嫌悪を示す言葉を覚えたのですが、辞書によるとこれは結構インパクトの強い言葉だから使うときは気をつけましょう、と書かれていた。

 まったく、ニュアンスというのは手のかかるものだなと思う。
 だけど、ニュアンスというのは基本的には人間関係の中で決まるので、誰かと直接話をするのならそんなに困らないのではないかとも思う。

 だから、しばらくあまり細かいことは考えないでおこうと思う。言葉というよりも記号のような使い方で、言語というものはなんとなく使いこなすことができるのではないかと思う。

 特にネイティブではないもの同士が英語で話すときは、もはや英語本来の細かい約束やニュアンスは意味を成さない。
 別に僕が英語で中国人と話をするときに、3人称単数形の s がどうだとか、冠詞があろうがなかろうが、過去分詞だろうが過去形だろうが、前置詞が at だろうが on だろうが、そのあたりの細かいことは別に間違えても痛くも痒くもない。

 ただ、滅茶苦茶な英語で話しているときに困るのは、日本人に聞かれたときになんとなく恥ずかしいことだ。

 なので、この際僕は新しい、よりシンプルな英語を作ってはどうかと思う。英語ではなくて謂わば「国際英語」といったようなものを。

 国際英語では、

 ・複数、単数の区別はない。

 ・過去形は全部、原型+ed。不規則変化はなし。たとえば go の過去形wentは廃止。goの過去形はgoed。

 ・be動詞は全部 is 。I am とか you are は廃止。I is , you is。

 ・冠詞は不要。

 etc...

 もちろん、「それでは英語文化が壊れる」ということになるので、これはあくまでも正式の英語ではなく、新しく作られた英語であることを宣言しておかなくてはならない。英語というよりもむしろ新しいエスペランドだと言ったほうがいい。
 そのうち、この「国際英語」の影響で、ネイティブな英語話者にも変化が生じるだろう。「最近、米国内の若者の間で英語が乱れています。彼らはたとえばbe動詞を正しく使い分けることができません。なんとI isと滅茶苦茶なことをいいます」みたいなことが起こるかもしれない。
 それはそれでいいようにも思う。

 もしも正しい言葉を知りたければ、そのときは普通の英語を勉強すればいい。

 同様に日本語にも国際日本語という概念をアプライすることができる。

 などと考えていたのですが。
 なんだか寂しい気分になってきたので撤回します。
 やっぱり不合理だと思いながら不規則変化を覚えたりする作業は、それはそれで素敵な人間らしい営みだと思う。言葉はたぶん合理化されるべきものじゃないのかもしれません。

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