Julie scare someone with a ghost story.

 図書館へ行く途中、丸太町の交差点で信号待ちをしていると、僕の隣で信号待ちをしていた親子が「ゴーストタウン」という言葉について話をしていた。
 その小さな男の子は母親に「ゴーストタウンというのは人が住まなくなった、誰もいない街のことだ」と言い、母親は「違うわよ。ゴーストというのはお化けのことよ。だからゴーストタウンというのはお化けの街のことよ」とその子を諭していた。当たり前だけど子供の言っていることの方が正しい。子供は何度か自分の意見を繰り返し、母親はそれを繰り返し否定し、だんだんと居た堪れなくなって僕は思わず「その子が正しいですよ。ゴーストタウンというのは誰も住まない街のことでお化けの街のことではありません」と言ってしまった。

 その親子を見ていて、僕は子供の頃に母親が僕の部屋を勝手に掃除したときのことを思い出した。僕にとっては非常に大事ないくつかのものが、彼女にとってはただのゴミでしかなく、それらは僕が学校から帰るときれいさっぱり消えていた。

 泣いても怒っても、もう捨てられてしまったものは戻ってこない。
 僕はこのとき、自分にとって大事なものは、それが大事だときちんと表明して、自分で守らなければならないし、人のものを扱うときはそれが相手にとって想像以上に大事なものである可能性を持つのだ、ということを強く思った。道端に落ちているいかにも安っぽいハンカチは、もしかしたらその人が初めて自分の子供からプレゼントされたものかもしれないし、壊れた時計はおじいさんの形見かもしれない。

 ビバリーヒルズ高校白書というアメリカのテレビドラマに、とてもダサい服を着ている歴史の先生が出てくる。彼はその服装を生徒に馬鹿にされているけれど、でも相変わらずダサい服を着て学校に来る。最初主人公のブランドンはその先生と馬が合わないのですが、やがて打ち解けあい、その服について彼が何を考えているのか聞くことになる。
「私もこの服がいい趣味だとは全然思っていないよ。でもこの服は死んだ妻が私に選んでくれたものなんだ」 

 もうすぐアパートの更新をしなくてはならないので、ぼんやりと引越しをしようかどうか考えています。あと3年は京都に住み、今の大学に通うことが決まったので、そろそろ引越しをしてもいいのではないかと考えています。
 でも、僕はお金を持っていないので、引っ越すといっても先は限られている。にもかかわらず、どうせ引っ越すならそろそろ一軒家に住みたいとも思う。なので、ただ同然で一軒家に住めないものか、と都合のいいことを考えています。

 これは今にはじまったことではなくて、もう何年もぼんやりと思っていることですが、根が怠け者なので真剣に空き家を探すということはしてこなかった。
 でも、今日久しぶりに空き家のことが気になって、インターネットを検索するとこんな記事に当たりました。

 『住宅統計調査によると、京都市内には2003年度で10万7千戸の空き家があり、このうち賃貸住宅が5万1千戸です。今後、人口減が進めば、京都でも空き家の増加が懸念されます。そこで、これらの空き家を滞在型観光客や移住希望者の受け皿として活用してはどうでしょう。』

 空き家はときどき見かけるし、多分結構な数があるのだろうと思っていたけれど、まさか10万戸もあったとは。しかも賃貸に出ているのが5万戸ということは残りの5万戸は手付かずでなんとなく放置されているということだ。
 これだけ家が余っているなら、やっぱりただ同然の一軒家に住むことも叶わないことではないはずだ。

 確かに、誰も使っていないからといって、極めて安い値段でその家を借りよう、なんていうのはとてもずるい考え方だ。
 でも、その5万戸の中にはきっと1万戸くらい、誰も住まない、ということで困っている家もあるのではないかと思うのです。

『以前は借家法のなかの正当事由により、いったん貸すと、借り手の権利が強く、契約期間満了後も一方的に立ち退きを求めることが難しかった。このため、トラブルを嫌がって空き家のまま放置している家主も多くおられました。しかし、2003年の借家法の一部改正で「定期借家契約」が施行されることで、契約満了になれば明け渡しが可能になった。また、短期間の契約も認められるなど環境は変わっています。』

 と、その記事は続いています。
 少しだけこういった法的なことを知る必要もあるなと思う。
 もっとシンプルに、「ここ貸してください」「いいよ。じゃあ月1万で。はい、鍵」という風にいかないものなのでしょうか。

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