obscuration.

 8日は修学院から、きらら坂を通って比叡山に登りました。7、8人だと勝手に思い込んでいたのですが、当日なぜか13人も人がいて、考えてみたら誘ったのだからそれは当たり前のことで、自分のいい加減な性格にうんざりしました。今度からもっと自分が誰に何を伝えたのかを把握しておこうと思います。
 ちょうど、どこかの民族には数字が3までしかなくて「1、2、3、それ以上は”たくさん”」という話がありますが、僕はそれに近い思考体系をしているのかもしれません。

 比叡山は全体にぼんやりとした印象でした。
 僕たちが正式な頂上へ行かなかったせいもあるのですが、いったいどこからどこが比叡山なのかがよく分からなくて、ただどこかの山の中を歩いている、という感じしかしなかった。
 おまけに延暦寺というのは比叡山にある120もの寺の総称なので、延暦寺という具体的な建物は存在しておらず、いくつか寺を見たのですが、どうしても比叡山延暦寺を見た、という気分にはなりません。

 細くて人気のない山道を抜けて、寺に辿り着くと、そこはさすがに観光地とあって色々な国籍の人がとてもたくさんいた。僕たちはついさっきまで2時間以上も山を歩いていてすっかりアウトドア気分だったので、急に人のたくさんいる中へ出てきて変な気持ちがした。だけど、なめられては困る。僕たちはバスも電車も使わずに、自分たちの足で歩いてここまで来たのだ。

 一番メインっぽい寺には、なかなか良くできた中庭があって、そのぐるりには回遊式の廊下が廻らされているのですが、廊下には全国から選られた子供の習字が貼ってあり、それが面白いので誰も中庭なんて見ていませんでした。習字が、それはもう本当に面白くて、「いも」とか「ふで」とか「真理追求」とか「正三角形」とか「地球博」とか、言葉の選び方がおもしろくて吹き出すほかないわけです。そうして、習字地帯を抜けて堂の中へ入ると、今度は「脱帽」と注意書きが同じような筆の字体で書かれていて、ここに来て僕たちは腰を砕かれるはめになる。

 このメインの寺以外、全部なんだかとても胡散臭くて、僕は延暦寺ってこんな程度のものなのか、とがっかりしていたのですが、このメインの寺はなかなか良かったです。
 暗い堂の中を覗き込んでいると、急に周囲の人々が正座をして座り始めて、なんだなんだとわらわらしているうちに僕たちは周囲を正座の人々に囲まれてしまい。仕方がないので同じように座ると、前でお坊さんのスピーチが始まってしまいました。

 このお坊さんの話が、Kの表現を借りれば「つっこみどころ満載」でとても面白かったです。
 まず、先ほどから書いているように、この堂の中はなかなか暗いのですが、お坊さんの話によれば、

「ここは本当は暗くない。暗く感じるのなら、それはあなたの心に鬼が住んでいるせいだ」

 とうことで、僕は自分の心に鬼が随分と住んでいることをここに発見しました。
 もちろん、このお堂が暗いことにより鬼発見のシステムはなにも「鬼がいます」ということを警告するにとどまるものではありません。こうして鬼を発見することができれば、それに対する対応もとれる、ひいてはそれがここにお参りをすることである。ということで、僕たちはお参りを迫られるという構造です。 
 このお坊さんは、たとえ話が上手で、

「風邪をひいたときには風邪薬をつける。傷薬をつける人はいません。つまり、何が悪いのかが分かればそれに見合った薬をつけることができる。だから、このお堂で、鬼がいますよ、ということを見つけてもらおう、そうすればお参りという薬をつけることができる。なにが悪いのかわからなければ、薬のつけようもない。そういうことなんですね」

 と分かったような分からないようなことをいう。

 あと、堤燈の火は1200年間、毎日油を足して点し続けていて、一度も耐えたことがない、ということですが、織田信長延暦寺を攻めて焼いたときも大丈夫だったのだろうか。1200年もあれば、何回かうっかり消えていてもおかしくないなと思う。

 あと丑寅の方角は鬼門だとか、お父さんお母さんを大事にしましょうとか、お供えには光と煙と花が必要です、煙には臭いがついていなくてはなりません、何故なら煙は天に昇って香雲という仏様の乗り物になるからです、とやっぱり分かったような分からないようなことを彼は随分な時間話し、最後に僕たちの願いを仏様に伝えてくれる、ということを言って、やっとスピーチは終わった。
 仏教って長い歴史があるし、延暦寺って有名だけど、でもやっぱりこういうのはカルトなんだなと思った。

 ケーブルカーで京都に下り、ご飯を食べてもまだ8時半で、一度解散したのですが、月がきれいだったので御所でキャッチボールと月見をして帰りました。
 すっかり秋で、僕はウィンドブレーカーを着て帰った。

 話はまったく変わりますが、北朝鮮が核実験をしたことを受けて、安部総理は日本独自の経済制裁を行うといい、それを受けて、

 麻生外相は10日午前の記者会見で、日本独自の追加制裁について、「今の段階では(核実験をやったとの)検証は難しい。裏づけの得られないまま、日本だけが先行するのは慎んだ方がいい」と慎重な姿勢を示した。
 (読売新聞)

 とのことですが、検証の必要がどこにあるのか僕には理解できません。
 なぜなら北朝鮮自身が「やった」との声明を出しているからで、本当に実験が行われたのかどうかというのはこの際重要ではないと思うからです。

 さらりと僕はこの記事を書いていますが、北が核を持ったのだとしたら、僕は本当にそれを嫌に思います。リアルに。
 核ってどうすればいいんでしょうね。
 アメリカは92年に核実験を中止したけれど、もちろん今でも開発は続けられています。臨界前実験すらしなくていいという、開発の全部をコンピュータシミュレーションと理論だけで行うという”クリーンな”開発に、年間29億円の予算がついています。