super-frog.

 前回、翻訳の話をしていて、僕は翻訳というのは最終的には「この言語でも、あの言語でもない場所」に立つことだと、だいたいはそういうことを書いたつもりです。
 それで、間の抜けたことに続きを書くのを忘れていました。
 僕は別に、翻訳とは「この言語でも、あの言語でもない場所」に立つことだ、と言いたかった訳ではありません。

 昔、高橋源一郎さんの本を読んでいると、「ある小説の本物の批評を書こうと思うなら、元の本の倍以上のページ数が必要だ。なぜなら、まずは元の小説の全文を引用しなくてはならない、その後、自分の意見を書いて、最後に返事となる小説を書かなくてはならないからだ」というようなことが書かれていた。

 なるほど。僕は思った。それはそうだ。

 そんなものを書いても誰も読んでくれないし、あまりにも大層なものができてしまうので、今のところ批評というのはこういう形体を取らない。でも、本当の本当のところはこうあるべきなのだ。
 と、高橋さんは書いていらっしゃる。

 翻訳の話を書いていて、僕はこのことを思い出した。
 そして、翻訳というのは高橋さんのいう批評に極めて近いことを発見した。

 優れた翻訳家は「この言語でも、あの言語でもない場所」に立っているので、俯瞰的な考察が可能である。そうして、自己の思考を差し挟んで他言語による小説を差し出す。ここには「全文の引用」はないし、書かれた「自分の意見」もないけれど、「返事となる小説」はちゃんと存在している。そして明文化されていなくても、そこには「自分の意見」は含まれているし、「全文の引用」は元来がナンセンスだからなくてもいい(原文を当たれば足りることだ)。
 だから、変則的ではあるけれど、半分以上の条件を満たしている。

 というのはやっぱり強引だろうか。

 今日テレビで柔道の世界大会みたいなものが放映されていて、僕はそれを途中まで見ていたのですが、日本がフランスにこてんぱにやられてしまって吃驚した。フランスの柔道人口は日本のそれの3倍だそうです。フランス人ってそんなに柔道が好きだったんですね。やっぱりかわった国だ。

 もちろん柔道は日本ではじまった。でも、別に日本の伝統でもなんでもない。
 ついでにいうと、剣道も空手も。
 それから、これは先日Kに教わったところですが、能とか狂言とかほとんどの伝統芸能も。

 それらのベースとなるものは日本に確かにあった。
 だけど、すべて、明治政府がぶち壊しました。壊して、再編纂した。

 壊した理由はとても簡単なもので、西欧の「進んだ」文明を取り入れて、早く近代化を成し遂げたかったからです。その為には日本古来のものはほとんど全部邪魔だった。だから、明治政府は全部捨ててしまいました。
 ところが、海外に視察団を派遣したところ、万国博覧会というものがあって、そこには各民族の伝統文化がきらびやかに展示されていました。そうか、こういうものも必要なのか、と、そのとき政府は捨て去った伝統の価値をやっと見出して、ごみ箱を漁った。そうしてぐちゃぐちゃになったゴミを、今度は外国の人に対して見栄えが良いようにちぐはぐに繋ぎあわせて、日本の伝統というものを作った。

 ついでに、富国強兵のため、みんなが良く働くようにと、「日本人は質素で勤勉だ」という日本人観を作って垂れ流した。

 結果的に、日本は静かで質素でまじめな国だというイメージが日本国民に浸透した。

 たとえば、これは岡本太郎さんが言っていることだけど、もともと日本には奈良の大仏(今は古ぼけているけれどもともとは金ぴかで伽藍のなかも極彩色だったし、前庭ではきらびやかな踊りがあった)だとか、縄文土器だとか、カラフルで力強い文化があったのに、それを明治政府が消してしまった。動的でカラフルなものは西洋、日本は静的で地味、という観念を明治は作り上げてしまった。

 江戸って、当時世界最大規模の100万都市で、町人文化が栄えて、吉原に代表されるように夜遊びも多くて、働き方も雨が降ったら休むみたいな怠け具合で、何かと活気溢れる街だったらしいですが、それって明治以降の日本のカラーにあまり合わない。明治維新でどれだけのことが劇的に変化したのかが分かる。
 でも、冷静に今の日本をみれば、東京なんて相変わらず世界で一番クレイジーな街だし、そういうのは日本の流れ的にはしっくりくるように思う。