あの魚は水を飲みたい。

 言葉は呪いだ。
 呪いという言葉が悪ければ、言葉は力を持つ、と言い換えても良いかもしれない。でも、やっぱりこれでは不正確だ。京極夏彦さんが、呪いを表現して「脳に仕掛ける時限爆弾」だとどこかで言っていたけれど、確かに呪いというものには時間軸が付加されている。力、だけではこれは表現できない。

 もちろん、僕はここで呪いという言葉を、悪意を持った黒魔術のような意味合いで用いているわけではない。言葉は人に影響を与え、その影響は未来永劫にわたる、ということが言いたいだけだ。

 この春まで、僕は塾でアルバイトをしていた。そのとき僕は、中学1年生の男子生徒と珍しく真剣な話をしていて、話の流れで「お前はなんか高校入ったと同時にギター買ってバンド組むだろうな。なんかそんな感じするよ」とうっかり言ってしまった。
 言った後で、しまった、と思った。僕は彼に呪いをかけてしまったのだ。彼は「なんで、そうかな。オレ別に音楽が好きとかじゃないよ」と言っていたけれど、これは僕が彼に「自分がバンドを組む可能性を想像してみる」という行為を仕向けたということだ。

 僕は別に生徒に特別な影響力のある先生だったわけではないし、極々控えめに仕事をしていたわけだけど、それでも「先生」という肩書きは無条件に力を持っているものなのだ。彼が本当にギターを買わなくても、高校生になるとギターが気になる、という可能性は、僕が何も言わなかった場合よりもきっと高くなったと思う。

 もちろん、それで彼が楽しくバンドをするならそれはそれでいいことだけど。

 僕は小学校のとき塾に通っていたのだけど、理科の先生が3者面談で「この子は理系で大成功するでしょうね」と言ったのを忘れることができない。それがただのノリで発言されたものであっても、リップサービスであっても。言葉の背景に関わらず、僕は単にそのフレーズを忘れることができない。

 蓋を開けてみれば、僕はそんなに理科系に向いた頭脳の持ち主ではないことが段々と明らかになっていった。高校に入ると数学は苦手な教科にカウントされたし、物理は辛うじて、化学は赤点という酷いありさまで、まともにできるのは国語だけだというどうしようもないことになった。
 さらに、僕はそれまで自分がみんなと同じ程度の怠け者だと思っていたけれど、普通の人よりも遥かに怠け者だということも明らかになった。怠け者は科学者には向いていない。

 僕は小学生のとき、単に子供が読んでも分かるように書かれた科学の本を読んで、子供でも作れる物を作って喜んでいただけなのだ。理解する努力が必要なものは読まなかったし、作るのに努力が必要なものも作らなかった。
 それが単にある程度は評価されたというだけのことだ。

 だから、大学受験では一時期、文学部の受験に切り替えようかと真剣に悩んだ。僕は数学の先生にはたじたじだったけれど、国語の先生とはある程度議論ができたし、それからそういった議論が好きだった(単に国語の議論ではバックグラウンドとなる知識があまり要求されないということだけど)。国語の試験問題で答えが気にいらないと職員室へ文句を言いに言った。僕は職員室なんてところは精一杯に避けて生活していたので、自分から職員室へ行くなんてとても珍しいことだ。

 結局、工学部を受験したのは「科学がかっこいい」という子供のときに刷り込まれた価値観が消えなかったのと、あと「この子は理系で」という先生の言葉が消せなかったからだ。
 それから、当時見たSF映画で、地球を侵略しようとする宇宙人と地球人が戦って、追い詰められた地球人は遂に核ミサイルを宇宙人の宇宙船(へんな言い回しですね)に向かって発射するのだけど、僕はこのとき「宇宙人よ、地球人を舐めるな。地球の科学力を見よ」と思ってしまったのです。僕は核ミサイルには反対ですが、このときはそう思いました。結局核ミサイルなんて全然きかなかったわけですが。僕はやっぱり科学というものに対して一種の崇拝に近い念を持っているのだなと自覚的に思った。

 そういえば、僕はドラえもんがとても好きだったけれど、ドラえもんの映画に対する僕の見方というのは、「地球の科学vs宇宙人」だとか「地球の科学vs魔法使い」「地球の科学vs地底人」「地球の科学vs海底人」というようなもので、敵がドラえもんの道具をみて吃驚すると「どうだ地球の科学力は」という気分になっていました。ちょっと変といえば変な子供ですね。

 「科学が好きみたいだけど、でも科学が苦手」というのは大学へ入って数年の後、「別にそんなに科学が好きという訳でもないし、しかも苦手」というものへ変化して行った。気が付くと友達の中に占める「デザイン・アート系」の割合が高くなっていて、よく考えてみると父親もデザインを生業にしていることを思い出した。それからもっと良く考えてみると、僕は子供の頃から「科学者になる」といっていたけれど、あれは科学者と発明家を単に混同していて、本当は発明家になりたかったのではないか、ということに思い当たった。さらに、そういった状況でいくつかデザインの講義を受けていると「デザインは発明に極めて近い」ということが分かり、僕は短絡的に「じゃあ電子情報工学科やめて造形工学科に移る」と言い出して、電磁気学情報理論、数学なんかの勉強を一切放棄してしまった。もう数学なんて勉強しなくていいのだ、と思うと心が晴れ晴れした。

 そうして、僕は編入に向けて着々と準備を進めた。
 この書類を出せば、もう後戻りはできません。point of no returnです。という書類を出しに行く日、僕は大学の入り口で同じ学科の友人に会った。彼とは特に親しいわけではなくて、この日も久しぶりにあった。僕は、編入するよ、というようなことを言い、たしか彼はそれに賛成してくれて、がんばって、と言ってくれた。その日は午前中まで雨が降っていて、僕達が立ち話をしていたすぐ隣には雨に濡れてぐちゃぐちゃになった何かの論文が落ちていた。僕はその紙面に辛うじて読み取れる数式とグラフを見て複雑な気分になった。

 彼と別れて、書類を出しに行くため歩いている間、脳裏には何度もその論文が浮かんで消えなかった。僕はこういった世界を体験することはもうないのだ、と思うと寂しい気分がした。その感情が「寂しい」とか「名残惜しい」ではうまく処理しきれない、ということに僕は気が付いて、では一体これは何なのだ、と考えていると、これは「間違い」だということが分かった。僕が感じていたのは寂しさだとか名残惜しさだとか、そんなパセティックなものではなくて、「自分は間違ったことをしている」という確信に似た物だった。

 僕はその書類を提出するのをやめた。

 本当は呪いの話を書こうと思っていたのですが、変な方向へ流れたのでそれはまたにします。