おじいさん、いい加減にラクダの毛を刈る。

 昨日、動物園のことを書いたけれど、動物園という存在のパラドクスを最も良く分かっているのは、きっと動物園の人達なんだろうなと思う。みんな動物が好きで動物園に勤めることにしたんだろうし。

 Nが『らくだの涙』というドキュメンタリー映画を借りてきてくれたので、それを一緒に見た。この映画にはナレーションもBGMもなくて、淡々とモンゴルの遊牧民の生活が映されている。
 あるラクダが子供を産むが、彼女は自分の子供を育てようとしない。そこで遊牧民の一家は馬頭琴奏者を街から連れてきて、仲の悪い(というか母親が一方的に子供を突き放す)ラクダ親子の前で馬頭琴を演じ、女の人が歌を歌う、という儀式を執り行う。すると、なんとも驚いたことに母ラクダは涙を流して子供に乳を与えだす。

 僕は本当にびっくりした。
 まるで魔法だ。
 でも、遊牧民にしてみればそれは魔法でもなんでもなくて、ごくごく当たり前のことだった。

「母ラクダが子供の面倒をみないよ、困ったなあ」

「じゃあ、馬頭琴のやつでもやろうか」

 という当然の流れなのだ。
 まるで僕達が、

「風邪かなあ。なんか熱があるみたいだ。まいった」

「じゃあ、風邪薬でも飲みなよ」

 という会話をするように当たり前のこととして馬頭琴の儀式は存在している。しかもそれが実際に効くのだ。

 すこし『らくだの涙』公式サイトから監督のインタビューを転載すると、

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――この風習がうまくいかなかったら、映画製作者としてのあなたにとってどんな結果になっていたでしょう?

「このテーマについてリサーチを始めてから、この風習がうまくいかなかったという話は聞いたことがありませんでした。多くの遊牧民と話しをしましたが、効果がなかったという例は聞きませんでした。私たちの撮影では、効果が出るまで1日かかりましたが、長老たちからは、数日かかる場合もあると聞きました。年老いた動物だと長くかかるそうです。らくだにもそれぞれ個性があるので、効果が出る時間もまちまちです。動物の性格によって異なります」

――儀式の歌の歌詞はどのような内容ですか? どのような意味があるのですか?

「歌詞はありません。ただ4文字、それは"HOOS"で、この言葉が何度も繰り返されます。特に意味はなく、ただ癒しの効果があるだけです。旋律も音楽的構造もありません。誰もがその言葉を思い思いに、感じたままに歌います。たとえば、ヒツジに対しては、"TOIG"という4文字言葉を3回、繰り返します。動物によって使う言葉は異なります。たぶん、ヒツジには、この音の響きがより人間を身近に感じさせるのでしょう。どうしてこういう言葉が使われるようになったのかは判りませんが、いつも人はこのようにしてきたのです。それが風習というものです」

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 監督の調べた範囲ではこの馬頭琴の儀式は100%効果を発揮していると書かれている。そんなに強力な儀式なのに、

「旋律も音楽的構造もありません。誰もがその言葉を思い思いに、感じたままに歌います。」

 と、こんなにアバウトなのは驚愕以外の何でもない。
 伝統が築き上げた文化というのは、底知れず凄いものだ。一体いつ、誰がこのようなメソッドを発見したのだろうか。最初は冗談だったのかもしれない。

「なんかさあ、母ラクダが子ラクダの面倒みないんだよね。どうしよう」

「そりゃ困ったね。歌でも歌ってみれば」

「なに言ってんだよ。そんなことしてどうすんだよ。ラクダに歌が分かるわけないだろ」

「まあ、そりゃそうだ。悪い悪い」

「で、どうしようか?」

「うーん・・・」

「・・・」

「やっぱり。僕ちょっとだけ歌ってみようかな」

「えっ」

「いや、なんかほら、他に方法も思いつかないし、まあ歌うくらい別にお金もかからないし」

「本気で言ってるの?」

「うん」

「お前、意外と馬鹿だったんだ。オレ冗談で言っただけだぜ」

「なんだって試してみる価値はあるよ」

「勝手にしなよ、おバカさん」

 次の日。

「おはよう。昨日さ、僕一日中ラクダに向かって歌ってたんだけど、なんか母ラクダと子ラクダ仲良くなったみたい。ありがとうね。」

「うそだろ」

「いや本当に。今度君も試してみなよ」

「本当に本当なのか。じゃあさ、バヤルじいさんとこのラクダも母ラクダが子ラクダ放ったらかして困ってるから、ちょっと行って試してみようぜ」

 という風に始まったのかもしれない。それが200年前なのか、1000年前なのか。どちらにしてもモンゴルの大地には同じ風が吹いていたのだろう。
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