ポケットにはピーナツを。

 その日、僕はI君と大学の食堂で夕飯を食べていた。大学の食堂はあまり好きじゃないけれど、空いているときを狙って、ときどきは利用する。そういえば、僕は学校にある食堂という物がどうにも苦手で、あまりそこでは食事をとる気分にならない。高校の時も食堂で食べたことは3年間に2回くらいだと思う。

「そういやさ、白身魚のフライって、なんで全部この形なの? これって一体何の形? どこの部分?」

 僕は白身魚のフライを食べていた。

「それよりもさ、もっと根本的に、白身魚って一体なんの魚?」

「そうだね、これって何の魚だろ。魚の名前言わないのおかしいよね」

「焼き魚とかは、秋刀魚の塩焼き、とか、カレイのムニエル、とか、ちゃんと魚の種類を明示してるし、肉料理でもたいていは牛か豚か鶏か分かるようになってるよ。なのに、白身魚って、なんでこれだけこんなにアバウトなの?」

 あとで白身魚のことを調べてみると、ウィキペディアの白身魚カテゴリには72種類もの魚が登録されていた。きっともう白身魚のフライといえばこの魚、という暗黙の決まりみたいなものがあるんだろうけれど、厳密にはこの72種類の魚のどれがフライになっていても僕達は文句を言わずに食べなければならないということです。マンボウのフライかもしれません。

 マンボウという名前をみると、海遊館で飼育されていた水槽のなかのマンボウを思い出す。マンボウは泳ぎが下手なので水槽で飼うのがとても難しいらしい。実際、そのマンボウはとてもかわいそうに見えた。水槽のガラスにぶつかって傷つかないように貼られた防護ネットにぶつかって、その傷つかない柔らかな檻が余計に痛々しく見えた。

 ウッドノートでYちゃん達と話をしているときに、動物園の話題が出て、僕は動物園なんて悲惨な施設は滅びればいい、というようなことを言った。あんな場所に閉じ込められている生き物を見たくはない。何度か動物園にはいったことがあるけれど、いつも複雑な気分になる。動物は見たいし、見れるのは嬉しいけれど、でも人間の都合で監禁された生き物。

 前にも書いたかもしれないけれど、僕は話題の旭山動物園がとても嫌いだ。
 北海道の旭山動物園は、経営難で閉鎖寸前だったところを、動物の性質を活かした”行動展示”という手法を用いることによって、一気に動物園のトップに踊り出た。
 行動展示というのは、動物がその性質を発揮しやすい環境を動物園の中に作れば、動物ものびのびと暮らせるし、人は生き生きとした動物の姿を見れて楽しいし、一石二鳥だという動物の展示方法のことです。
 たとえば、シロクマはアザラシを捕まえて食べますが、彼らはアザラシが海面から息継ぎなんかの為に顔を出したところに飛び掛ります。だから、水面から頭が出ていると。それをアザラシと思って飛び掛る性質がある。

 旭山動物園ではこれを利用したシロクマの行動展示を行っている。ちょうど水族館の水槽のように、シロクマを分厚いガラスの向こうに住まわせて、ガラスの手前(クマ側の)は水をいれてプールにしておく、このとき水面の高さを大体人間の肩くらいにしておくと、ちょうどガラスの反対側に立つ人間の頭が水面から出た形でクマの目には映る。すると、クマはそれをアザラシの頭だと思って飛びかかってくるわけです。これで、見に来た人にとってはシロクマがこっちへ飛び掛ってくるという迫力ある演出をし、クマにとってはエサに飛び掛る自然に近い状態を再現している、双方にとってめでたい、ということになっているのですが、そんなわけない。アザラシを捕まえようとして飛び掛ったら、それは人間のフェイクで、ただアクリルでできた丈夫なガラスにぶつかるだけ、という状態のシロクマは、その本能を利用されている分、普通の動物園のシロクマよりも哀れだと思う。結局のところ、楽しいのは人間のほうだけで、動物園なんてどこまでいったって人間のエゴの塊にすぎないのだ。

 だけど、小さな子供が嬉々としてゾウを指差していたりすると、僕は残酷な人間の一員としてとても複雑な気分になる。自分に子供ができたら、僕は彼、もしくは彼女を動物園に連れて行きたいと思うのだろうか。そして、『どうぶつふれあい広場』みたいなところで、かわいそうなウサギの耳を自分の子供に掴ませるのだろうか。

 僕は子供の頃、だいだいいつも生き物を飼っていた。犬、鳥、リス、ネズミ、爬虫類、両生類、魚。子供が飼いたがりそうなものは一通り飼った。それはとても楽しいことだったし、僕はとても沢山の思い出をそれらの生き物に関して持っている。僕はもともと怠惰で飽きっぽい性格なので、世話がおざなりになって動物たちには苦しい思いをさせたこともある。今でもときどきモルモットのゲージの水を取り替えていない、もしかしたら飲みつくして水がなくて死んでしまったのではないか、と大慌てて様子を見に行く、といった夢をまれに見る。
 色々な生き物がいて、いろいろなことがあった。ヒナから育てたスズメはとてもなついて、僕は彼を肩に乗せて外へ遊びに出ることもできた。学校から帰ると、動物が大嫌いなはずの母親がリスに何かを話しかけていた。犬は僕に飛びついて顔をぺろぺろと舐めた。

 僕には彼らが幸福だったのか不幸だったのか分からない。
 だけど、僕は彼らが大好きだった。
 この世界にはたくさんの生き物がいる。