上がらない雨の中で僕達にできること。

 対岸から打ち上げ花火が飛んできて僕の足元で華麗な火花を散らした。「アホかボケー」と僕はお腹一杯に空気を吸い込んで、見えない暗闇の誰かに向かって叫んだ。Tが「まあまあ」と横からなだめてくれて、それから周りにいて驚いた友達が「関西弁喋るんだ」とか「横岩くんでも怒ることあるんだ」と言った。

 7月15日の夜のことを思うと、何故かこのシーンが最初に浮かぶ。僕が大声で対岸の誰かに向かって汚い言葉で怒鳴り付けたことは、ある意味ではこの夜の僕の失態を象徴しているのだろう。
 宵々山の賑わいもお囃子も、何も聞こえては来ない出町柳で、僕はこの日大失敗をして、そして少なからぬ友達に迷惑を掛けてしまったと思う。みんな、それを迷惑だなんて言わないでいてくれた、立場が逆ならば僕も特に迷惑だとは思わなかっただろうし、それはそれで別にいい、と思っただろうから本当に迷惑には思っていない人もいるだろうと思う。でも、やっぱりがっかりさせたのは事実で、それに雨でびしょ濡れにさせてしまった。

 基本的には全部僕のミスだった。法的なチェックを怠ったこと。それから天候に関する予測が楽観的過ぎたこと。部材に入れるチェックが甘かったこと。

 野外で行う企画なので、天候の予測はなるべく慎重に行う必要があった。にもかかわらず、僕はほとんど雨天決行に近いことをしてしまった。前日まで夕立はあっても、僕達が予定していた夜8時には空は晴れていたし、降水確率は20パーセントで、大きな雲を一つ越えれば、そのあとは薄い雨雲しかやってこないと思っていた。前日までこの日の準備に追われて、3日間連続で朝の4時まで作業をしていて、その努力を無駄にしたくないという思いが、今日は夜には晴れるのだ、という思い込みにバイアスを掛けていた。

 雨のせいで準備も大幅に遅れて、人が集まったときにも作品は組み上がっていなかった。みんなが組み立てに手を貸してくれたにも関わらず、部材に入れるチェックが甘かったのと、方角ごとに分けておいた部材が入れ替わったりして、作業は実に困難だった。組み立ては手早くやれば二人で50分くらいでできるはずだった。何度でもリユースできるように、僕とI君は作品を組み立て式にすることにこだわって、その為に随分な労を割いた。現場でビス留めするならば設計はずっと簡単になるし、大した準備も必要はない。でも、ビスで木材を傷めることなく、何度も繰り返し使うために組み立て式にしたのだ。それはとてもシンプルで、ローコストで、それなりに考えて作った物だった。分解も組み立てもとても簡単なはずだったし、実際僕たちは2人で何度か組んだりばらしたりを比較的簡単に行っていた。
 でも、現場ではうまく行かなかった。肝心なときに。こんなはずじゃないと僕はとてもイライラしていた。みんなを右往左往させることなくスムースに組み上がって、これうまくできてるね、と言ってもらえるはずだった。そんなとき、僕の足元に花火は飛んできて、僕は叫んだのだ。

 作業がなんとか進行して、しばらくすると消防局の人がやって来た。

「責任者の人はいますか?」 

「はい」

 僕はこのとき、まだゆとりを持っていた。警官やそれに類する人がやってきて小言を言われることは十分に予想できたし、僕にはそれをなんとかやり過ごす自信があった。たとえば警官はイレギュラーなことにはいちいち反応しなくてはならないし、鴨川の中に底面積25平方メートル高さ4メートルの照明が出現するというのは十分にイレギュラーなことだ。彼らはやってくるだろう。だけど、僕は自分達に法的な落ち度はないと思っていた。彼らが僕達の行動をやめさせる法的な根拠はないだろうと思っていた。
 でも、全部僕の読みが甘かっただけだった。

「ここは公園だし、この建造物は仮設だし、営利目的でもありません。火も使ってない」

「でもねえ、ここは公園ですけれど、でもヘリの緊急発着場なんですよ。これは違法です」

 これだけで全ての決着は着いた。全然論理が通っていないと思いながら、僕は無理矢理食い下がったけれど、本当は既に決着がついていることはよく分かっていた。ここは緊急用に開けておかねばならないと法律で決まっているのだ。あと1時間だけとか、3分で撤去できるとか、そんなことは全然関係がない。緊急用で1秒だって駄目なのだ。おまけのその2人の消防士はとても親切だった。彼らは怒るのではなくて、単に僕達を諭した。

「私らはこう注意するだけですけれど、警察だったら逮捕されかねないよ。その前に私らがたまたま見つけたからこうして注意しているんですよ」

 僕らが彼らにたてつくことは全く意味もなく不毛なことだった。分かりました。ご苦労様です。といって、彼らに帰ってもらって、後ろを振り返ると十何人かの友達が組み立てを続けていた。今更、また分解してほしいなんて言えたものではなかった。でも言わないわけにもいかない。
 僕は言った。

 分解中に僕はどうやってお詫びをすればいいのか考えた。全員でどこかのお店に行って、払いは全部僕が持とうかと最初は思っていた。でも、正直なところこんなに大勢の飲食代をペイできるほどの財力は僕にはないし、それに却って気を使わせることになると思った。そんなとき、Yがコンロの準備を始めてくれて、Mさんたちがスクリーンを作ったり、「いつもみたいなのを小規模でやろうよ。音楽と映像だけで」と言ってくれて、なんとか救われた気分になった。そうだmちゃんやHちゃんが素敵な音楽を用意してくれている。

 だけど、僕はここでもまたしてミスをする。
 雷光が北西の空を時々染めていて、雨が心配される状況だったから、本当はどこかに待避するべきだった。あるいはもう解散してしまうべきだった。でも、なんとか楽しく終わりたくて、こんな破れかぶれのまま解散したくはなくて、天に祈る気持ちで続行した。結果的にはものすごい大雨が降る。僕とKがファミリーマートで大量の飲み物や食べ物を買い込んで戻った瞬間に大粒の雨が降り出した。雨に備えてファミリーマートでゴミ袋を買っていたので、それを取り出して機材や鞄を入れた。僕はもう自分の機材なんて半分はどうでも良くなって、ただみんなの携帯だとかipodだとかが濡れて壊れてしまうことが心配だった。なるべく友達の物に被害がないようにしたかった。でも橋の下に避難を終えたとき、僕の機材はしっかりと運び込まれていて、その分余計にみんなは雨に打たれたわけで、感謝してもしきれなかった。

 何か残したものがないか、中洲の先端へ確認しに行って、橋の下に戻ろうとしていると、階段の上から「良太君」と呼ぶ声がして、階段を上るとMちゃん達3人の女の子がいた。メイクも服もばっちりきめた女の子3人が傘も持たずに木陰に非難して雨を凌いでいて、さらにMちゃんが「残念だったね。でも差し入れ持ってきたからもらって」と紙袋を差し出してくれたとき、僕はとどめの一撃を刺されてほとんど泣きそうだった。なんて沢山の人を巻き込んでこんな目に合わせていることだろう。

 T君、Kさん、mちゃんに傘を借りて、Mちゃん達3人を駅まで送って戻ってくると、橋の下でMさんの持って来てくれたヒレ肉が焼かれていた。そのあとYの持って来てくれたホッケも焼かれた。僕たちは狭くて暗い場所で、話をしたりして段々と解散した。散々だったにも関わらず、みんな楽しかったと言ってくれて、更に公園の入り口に機材を運ぶのも手伝ってくれた。

 最終的に、I君と大学やアパートに物を片付けて、部屋に戻ったのは6時半ごろだった。僕は申し訳ないのや悔しいのや情けないのや、それから何よりありがたいのや、たくさんの気持ちが混じって眠ることができなかった。
 僕は今までこのブログにこんな風なことを書いたことはないと思う。こんな風というのは、こんなに感情を露わに、ということで、こんな風な感情の動作が起こる出来事は書かないようにしてきた。これを書いていてとても恥ずかしいと思う。だけど、今回は書きました。みんな本当にどうもありがとう。しばらく休んだら、今度はよく考えます。15日はとても見てもらいたいものがあったのです。