バスケットにサンドイッチ。

 夏が始まったと言うのに、なんとも運悪く僕のシャワーは壊れてしまった。でも、幸いなことに、中を開けてあちこちテスターで調べたりしてみると、モーターを逆転させるリレーが壊れているだけだったので、今日電子パーツ屋に行って新しいリレーを買って取り替えました。もちろん、パーフェクトにシャワーは動作を再開し、僕は嬉しくなってシャワーを浴びた。これで夏はどうにかきれいに回転してくれるだろう。

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 オイラーは間違いなく数学史史上で最も偉大な数学者の一人だけれど、彼は亡くなる十何年か前に失明している。それでも晩年まで研究を続けたらしい。目が見えないのに数学の研究をするということは、紙も鉛筆も使わないですべて頭の中で計算を行うということだ。信じられない。5行前の式変形に間違いがないかどうか頭の中でチェックできたのだろうか。
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 バス停でバスを待っていると、こんな表示が目に入った、

「バスの中は禁煙となっております」

 なっておりますって、何も禁煙は既成事実ではなくて、バス会社が決めたことなんだから「しております」とかにしないとおかしいのじゃないだろうか。責任を自分のところからどこかへ誤魔化す表現だとしか思えないし、こういうのはよく見かけるけれど、はっきりいっていい気はしない。

 電車の中での携帯電話禁止が「ペースメーカーの誤作動を防ぐ」為だとか、嘘か本当かよく分からない理由で禁止を正当化しようとする傾向がここのところ強いと思う。それは先日も書きましたが、僕達の行動に何故か理由が要求され、人々は理由なしには動いてくれない、という一種の流行によるものではないかと思う。もちろんその理由の後ろ盾となるものが一体何なのかというと、それは良く理解されない、というか中には何も入っていない謎の箱なのだと思う。僕たちはその中に何か重要なものが入っていると思い込んでいる。

 2、3日前、大学の工房に無許可で木材を置いていると、

「防火上の理由から無許可で木材を置くことを禁じます」

 と張り紙をされた。
 無許可が駄目なら、別にそれだけ言ってくれば僕には十分だ。防火上の理由って、一体どういうことだろう。多分、放火されやすくなる、ということだと思うのですが、他にもたくさん木材は置いてあって、それらは許可を受けているのだろうけれど、べつに許可を受けた木は燃えない、というわけではない。
 本当のところは、単に駄目な物は駄目だ、というだけだと思うのです。

 物事を許可したり、禁止したりするのに、いつもいつも理由なんて存在しない。