タイムマシンにのって。

 またメルマガの再録です。
 月曜日に重要なディスカッションがあって、その準備に追われている上に、今日は夕方から出掛けるので、何か新しい日記を書くというわけにはいかず、でも、できる限り毎日ブログを更新しようと思っているので、無理やりですが、僕が2003年の8月1日に書いたものを載せてみます。実に3年の時間が経っていて、複雑な気分になる。昔の自分の労力を使うなんて。
 そういえば、ドラえもんで宿題に追われたのび太が、1時間後の自分、2時間後の自分、3時間後の自分などをタイムマシンで連れてきて、みんなで一気に宿題をやってしまう、というような話があった気がします。宿題はばーっとできるのですが、「できた」と喜んでしばらくすると1時間まえの自分がタイムマシンでやってきて、「宿題を手伝え」と言って来て、手伝いに1時間前にもどって宿題を済ませて、「ああ疲れた」といっていると、今度は2時間前の自分がまた「宿題を手伝え」と言ってきて、またタイムマシンで宿題をやりに過去に戻って、それを終えて「今」に戻ってくると今度は3時間前の自分が「宿題を」と呼びに来て、のび太は最終的にへろへろに疲れ果てるのですが、この話を考えただけでも藤子不二夫って天才だなと思った。

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 「数学は学ぶものではなく、もともと君達の頭の中に存在するものです」
 と言いながら、僕らが線形代数を習った先生は”∞”のマークを黒板にお書きにな
った。僕は大学の教員に関する、特に定年に関する規定を良くは知らないが、その先
生は当時60代なんてとっくに超えているように見えた。でも本当はもっと若かった
のかもしれない。そして実際、彼はとても元気だった。

 「ここにこんな”∞”を書いても、これは単なる記号です。実際ここに無限大が存
在しているでもなし、単なる記号。しかし、君達がこれを見ると君達の頭の中には無
限の概念ができる。数学自体は外ではなくて君達の頭に中に全部存在しているので
す」

 4年くらい前の話で、ほとんど思い出すことが出来ないけれど、違う例もたくさん
あがっていて、実際はもっと説得力があった。なんか無理矢理だなあ、とは思いなが
らも、僕は数学が頭の中に存在しているという考えに、密やかに感動して、やっぱり
講義には出るものだと思った。

 だけど、本当に無限大の概念は僕らの頭の中に存在しているのだろうか?
 もちろん、概念が存在していることと、それを実感として感じることは違うけれ
ど、でも無限というのは僕にはあまりピンとこないし、どうも頭では処理し切れてい
ないように思えて仕方ない。

 僕らが存在しているこの宇宙について、僕らはほとんど何も知らない。宇宙空間が
有限か無限なのかも、まだ分からない。

 そして、もしも宇宙空間が無限に広がっているとすると(今はまだその可能性が残
されている)、「宇宙ってすごくひろいんだなあ」などと単に感心するのでは済まな
いようなことが起こる。

 それは何かというと、もう一人の、というか人数無限大の別のあなたがこの宇宙に
存在していて、地球にそっくりな星で、あるいは全然違った雰囲気の星で、あなたと
同じだったり少し違っていたり全然違っていたりという様々な人生を送っているとい
うことだ。

 例えば、あなたは今これを読み続けていますが(ありがとうございます。本当
に)、どこかのあなたはハナからこんなもの読まないし、何処かのあなたは3文字手
前で止めたし、どこかのあなたはプリントアウトして上等の入浴剤を入れた甘いお風
呂に入りながら読んでいるし、どこかのあなたは読んでいる途中に隕石がパソコンに
落下するという衝撃的な事態に陥り読むのを中断する羽目になっています。

 どうしてそんな異常なことを僕がぬけぬけと言い得るのかというと、それは空間が
無限に広がっているという仮定を定めたからに他ならない。
 たぶん、宇宙に存在するものは全て何かしらの物理学的な法則に支配されているけ
れど、空間が無限に広がっているということは、その法則の許す範囲内ならばどんな
に起こりにくいことでも起こるということを示している。たとえ、起こる確率が
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 の普通では絶対に起こらないような事象でも、それが起こる可能性を持つ空間が無
限に広がっていれば必ず何処かで起こっている。
 そして大概のことは、起こる確率が非常に小さくともゼロではないので、どこかで
本当に起こっていると考えられる。イエスが生まれてから、西暦2003年までのあ
りとあらゆる歴史上の出来事が寸分の違いもなく地球と同じで、ただその星にはハー
ゲンダッツのアイスクリームにバニラが存在しないという星も、宇宙が無限に広がっ
ているのならばどこかに存在している。もちろん、チョコが存在しない星も、クッキ
ークリームが存在しない星も。
 無限というのはそういうことだ。

 これってすごいことだと思う。
 頭がくらくらするくらい。
 そしてこれはSFとしての空想ではなく、宇宙空間が無限に広がっているという仮
定のもとでは当然起こる(つまり現実に今起こっている可能性のある)ことなのだ。
 つまり、宇宙が無限に広がっているなら、僕はクラクラするし、やっぱり「無限」
は頭では処理し切れないのではないかと思う。だけど、クラクラするということは、
頭が無限を処理したので、その実感としてクラクラしているのかもしれない。いずれ
にしてもクラクラするということだけは間違いがない。