フランスパン。

 もはや間が空きすぎて、一体何の続きなのか分からなくなりましたが、人工知能の話の続きです。

 『ラジオフロック・スイミング。』
        ↓
 『クロック・クロック・クロック。』
        ↓

 と、切れ切れに続いています。
 僕はちょうど人口知能と意識の話をしようとしていました。人工知能は意識を持ちうるというスタンスを僕はとります。もしもドラえもんが意識を持っていないとしたら、部屋で一人で話をしていることになるノビ太って悲しくて怖いですね、というようなところで前回は終わったと思います。

 今回は、僕がどうして人口知能が意識を持ち得ると思うのか、その辺りからはじめます。

 僕が「強い人口知能」論者であることは、とてもシンプルな理由によるものです。デカルトではありませんが、推論の零度は「我思う故に我在り」というものに極めて近いもので、僕はこの自分が意識を持っていることを知っているし、それはこの宇宙に意識が存在可能である、ということを例として示す物です。そして、僕はメカニズムこそ分からないものの、この宇宙に所属する「何か」で構成されています。つまり、宇宙に存在するものを組成として意識は構成され得るわけです。ならば、いずれ人類がそのメカニズムを作り出すことも可能だと思われます。今のコンピュータの技術では無理でしょうが、いずれはできると考える。

 意識や人口知能の問題を扱うときに、僕たちは「クオリア」という概念を避けて通ることができません。最近はテレビでも大活躍の茂木健一郎さんがその昔お書きになった「脳とクオリア」という本に詳しいですが、クオリアというのは平たく言うと「質感」のことです。
 クオリア問題の焦点は「なぜクオリアを作ることが可能なのか」という一言に尽くされます。たとえば、赤いリンゴを見たときに僕たちは頭の中に「赤」という質感を伴った「感覚」を「リアル」に得ます。このときの「リアル」というのは、現実存在かどうかという意味ではなく、「私にとってのリアル」という意味合いです。

 それでは、この「赤」は一体どこでどのように生成されたのでしょうか?
 ここで、我々は一度人間の視覚における情報処理のルートを辿ることにします。僕達がリンゴを眺めたとき、目には光が飛び込んできます。光は電磁波の一種で、つまり電波で、赤というのは波長700ナノメートル付近の電磁波のことです。
 その電磁波が目に飛び込んで網膜上にある神経細胞にぶつかり、そうすると神経細胞は微弱な電気のパルスを発生させます。次にこのパルスが脳の視覚野に入り、そしてなんらかの謎の処理を受けて「赤」が発生します。実際には脳に入る前に視神経系で情報はいくらか処理されていますが、そこで行われていることは「電気信号」を「違う電気信号」に変換するというだけのことなので、今は本質的な問題ではありません。本質はもっと高次の変換にあります。

 もう一度、簡単に視覚系の信号媒体を書き下すと、

 「電磁波」→「電気信号(視神経)」→「電気信号(脳)」→「赤(意識)」

 これを眺めると、僕たちはとんでもないギャップが一箇所存在していることに気付きます。最後の。

 「電気信号(脳)」→「赤(意識)」

 ここって無茶だと思いませんか。
 その手前までは特に問題を感じません。電磁波を電気信号に変えることは例えば我々の携帯電話を含むあらゆる無線通信で日常的に行われていることです。電気信号を電気信号にという変換も言うまでもありません。
 でも、最後の、「電気信号(脳)」→「赤(意識)」、というやつだけはどう見たって異常だとしか言いようがない。

 与えられた材料は「電気」だけです。
 さて、これで「赤」を作りなさい。
 どんなに複雑なことをしてもいいですよ。

 そんなことを言われても、「難しすぎてできない」のではなくて、「原理的にできない」と感じてしまいませんか。

 ちょっとたとえ話をすると、

 与えられた材料は「数字」だけです。
 さて、これで「味」を作りなさい(もちろん、本物の感じられる味ですよ)。

 といわれたようなものです。
 材料と求められている物の「次元」が違います。

 だから、科学的に考えて、我々の脳(もしくは存在)は「赤」なんてものを作り出すことができないはずなのです。にも関わらず、僕たちは毎日「赤」を眺めていきています。あらゆる瞬間に不可能が現実化しているわけです。これはもう参ったと言わざるを得ない。