夜になればロウソクを。

 パオロ・マッツァリーノという人の『反社会学講座』という本をこの前本屋で立ち読みして、面白かったので気にしながらもそのまま買わずに帰った。それで、昨日パオロ・マッツァリーノという人を検索してみると、なんと彼のサイトがあって、それにいくらか手を入れて出版されたものが『反社会学講座』だった。

 つまり、そのサイト「スタンダード 反社会学講座」でほとんどそのまま『反社会学講座』が読めるということで、僕は昨日少しそれを読んでいた。
 途中で飽きてきたのと、あとパソコンの画面を読むのは疲れるので7章くらいまで読んでやめたのですが、なかなか面白いです。

 内容に関していくらか思うこともあるけれど、今回は紹介まで。

 社会学者がテレビや本で快刀乱麻のロジックを繰り出すのを見て、「それはそうだけど、でもなんだかなあ」とどこかに引っかかりを感じいた人は多いと思うけれど、パオロさんの主張はそもそも社会学なんてまともじゃない、というものです。マスコミが煽るように少年犯罪は増加なんてしてないし、それを編集したデータとともにあたかも問題であるかのように語るのが彼らの仕事だ、社会問題がなくなれば彼らの存在価値はなくなるのだから、という捻くれた感じで話は展開していきます。

 語り口が独特の人を小ばかにした感じで、ちょっと気をつけて読まないといけないような気もします。テンポがいいので乗せられると自分の思考を停止させていることがあるかもしれません。

 ちょっとだけ引用すると、

(江戸時代はフリーターだらけだった。いい加減に働いていたというデータを提示したあと)

「 明治の詩人、萩原朔太郎の『孤独者の手記から』には、こうあります。

    労働の讃美は、近代に於ける最も悪しき趣味の一つである。

 江戸時代にはほとんど見られなかった労働の讃美が、明治時代に始まっていたことを示す一例です。ご存じの通り、明治政府は富国強兵政策を打ち出し、国の発展を最優先事項にしました。基本的には、工場で製品をどんどん生産し、輸出して儲けるという仕組みです。当時は、内需拡大しろ〜などと余計な口出しをしてくる外国人がいなかったので、好きなだけ邁進できたのです。

 しかしこのためには、当然のことながら低賃金の労働力が多量に必要とされます。ここにおいて、江戸的な個人の自由裁量に任せた労働形態が、終止符を打つのです。江戸時代までは有効だった、今日は暑いから休みにしよう、なんて考え方をみんながしていたのでは、生産性ががた落ちしてしまいます。

 アメリカの白人は、この問題を解決するために、アフリカから黒人を連れてきて奴隷として働かせるという荒技を考えました。しかし残念ながら明治時代、すでにアメリカでも奴隷は解放されていました。がっかりした明治政府は、日本人を奴隷化することにしたのです。それがつまり、教育です。こどもの頃から、勤勉さこそが美徳であると、叩きこむようになったのです。 」

 僕がさっき「ちょっと気をつけて読まなくてはならない」と言ったのは、この文章からも伺えるように、彼の語り口が社会学者のそれにほとんど同型であるという理由からです。
 反社会学は実は社会学に包含されているように僕には読めます。(「1例です」「ご存じの通り」「基本的には」などのマジックな言葉をこの短い区間にも用いています)

 でも、どちらにしてもとても面白いサイトです。


反社会学講座

イースト・プレス

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