Twe Letter.

 橋本治の「上司は思いつきでものをいう」のはじめでは「よく考える」ということが取り上げられている。

 「よく考えて」というのは、はしゃぎ回って落ち着かない子供を諭すときの言葉で、諭すというのは”答え”が大人の方にあって、そこへ子供の思考を誘導することだ、だから子供は「よく考えて」という言葉の意味を潜在的に「相手の持っている答えを当てること」だと勘違いしている。そしてそのまま大人になる。

 だから、「よく考える」という言葉は「本当によく考える」ときには使われない。「よく考える」という言葉は、(あからさまにでなくても)相手を馬鹿にするか、あるいは自分が謙るときにのみ用いられる。たとえば人に「よく考えて」というときは含みとして「これくらい普通わかるだろう」という続きがあるし、自分が何か相手に気に入られないことをしたときには「よく考えてきます」と謝る。

 だから、アヒルの出てくるどこかの保険のコマーシャルはとても人々を馬鹿にしたコマーシャルだと言ってもいい。あの「よーくかんがえて、お金は大事だよ」という歌はそのあと「うちの保険にしとけば得だって普通の頭なら誰でも分かるんですよ」という暗黙の台詞にコネクトしている。コマーシャルだから当たり前だけど「よく考えてみたらよその保険の方がいいかもしれないですよ」というメッセージは全然入っていないし、入っていてはいけない。「まともな人なら考えた結果うちに来るんですよ」しか正解はない。

 「よく考える」というときに僕たちが「本当によく考えて」いないのだとしたら、「本当によく考える」とき僕たちはそれをどういった言葉で表現するのだろうかという疑問に突き当たる。その答えは「ちょっと考える」です。「ちょっと考える」と言うとき、僕たちは「本当によく考える」をしている。その証拠に「すみません。よく考えてきます」と相手に頭を下げて持ち帰った案件を、一人になって「それではよく考えてみよう」と思う人はいない。きっと一人になったとき「それではちょっと考えてみよう」と思う筈だ。「よく考える」というのは相手が持っていると想定される答えを発見したがる限定された態度でしかない。本当に自由に思考するときは「ちょっと考える」を僕たちはする。

 それにしても、橋本治さんにしても高橋源一郎さんにしても、物事を「もう一つ外側」のレベルから見てどうこういう人はすごいと思う。僕たちは書物なら「そこに書かれている内容」についてだけ議論するけれど、彼らは書かれている内容よりもむしろ「その書かれている書かれ方」に着目している。
 この「書かれている書き方」に目をやるというのはなかなかできるものではない。僕は高橋さんの著作に当たるまでそんなふうな読書の仕方をしたことがなかった。僕はただ中身を追うだけの従順な読者でしかなかった。今もそうだけど。でも、高橋さんのお陰でそれ以外の読み方が存在していることを僕は少なくとも知った。

 僕が高橋源一郎という人の思考を見たのは、いつかの京大で行われた集中講義でのことで、それまで僕は高橋さんの本なんて一冊も読んだことがなかった。たまたま僕の友人がその集中講義をとっていて、そして彼女は「一緒に出ようよ」と僕のことを誘ってくれて、それでなんとなく僕はその講義に潜りで出たのだった。
 それは僕が今までに聞いたどの講義よりもダイナミックで繊細なものだった。僕はそこで高橋源一郎という人間が持つ思考能力の高さをまざまざと見せ付けられた。

 以来、僕はときどき彼の著作を読み、それから「書かれていることの書かれ方」も気に留めようとしているのですが、鋭い刃を持つことはなかなか難しい。


文学なんかこわくない

朝日新聞社

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