変な角度で彼女は腕をくんだ。

 さて。僕は戻ってきました。
 とは言っても別にどこか旅行へ出ていた訳ではありません。ではどこから戻ってきたのか、それに”どこへ”戻ってきたのか、と聞かれても、その質問にうまく答えることはできません。ただ、僕はどこからか戻ってきたように思うのです。そのような感覚を持っている理由の一つには、この年末年始に色々なことがあった、というファクターが勿論カウントされます。でも、それはあくまで一つの要因に過ぎません。結局、全ては大きな流れの中に存在しているのです。

 念の為に書いておくと、べつに「年末年始に起こったこと」というのは特別な出来事ではありません。僕はよくあるクリスマスを過ごし、忘年会をして、それから懐かしい面子で集まったりしながら、随分と希薄になった現代の正月という時間を過ごしました。至って普通のことです。それでも、僕はとても多くを考えざるを得なかった。はっきりいって、この年末年始で僕はずいぶん変ったと思う。

 この変化について、僕はその全容も把握していないし、説明もできない。ただ、物事を考える為の回路が新品になったような気がするのです。脳科学の本で「30歳前後で人間と言うのは頭の使い方ががらりと変化する」という記述を読んだことがありますが、もしかするとそれはこのことを指すのではないかとも思います。あと一月も経たないうちに僕は27歳になる。

 僕は2つほど前の記事に「物事をうまく考えられないし、うまく文章が書けない」というようなことを書いて、それからしばらくこのブログを書くことをしませんでした。今年に入ってからは一つ短い文章を書いただけに留まっています。でも、そろそろ、へんてこでもいいので何かを書きたいと思う。

 さっきも書いたけれど、僕はもうすぐ27歳になる。つまり、僕は1979年に生れたわけです。その年、日本ではある小説が発表されました。タイトルは「風の歌を聴け」。作者はいうまでもなく村上春樹です。その3年前、1976年には村上龍が「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞をとっている。そして、このダブル村上に続いて吉本ばななが登場する。
 この3人の作家は、日本文学史上においてとても重要な一つの指標を提示している。それは「言文一致の完成」というものだ。日本の近代文学と言うものは明治時代にはじまる訳ですが、当初日本語では書き言葉と話し言葉があまりにもかけ離れていたので、小説家たちは自分の考えを文章にうまく表す手段を持っていませんでした。思っていることをそのまま書く、という現代では当然のこと(一応は)ができなかったのです。だから、日本の近代文学はその起こりにおいて「思ったことを書く為の日本語を作る」という作業を要求され、坪内逍遥の「浮雲」にはじまった「言文一致」の試みは、100年かかってようやくダブル村上と吉本ばななで完成されたのです。

 そして、言文一致の極みを見せているその作品、「風の歌を聴け」の冒頭を、今日僕は図書館でなんとなく開いてみた。するとその冒頭、出だしの一文は「完璧な文章というものは存在しない」というものだった。僕はびっくりした。風の歌を聴けの冒頭なんてすっかり忘れていたのだ。最初の数ページは、これから物語を書き始める自分自身のことが書かれていた。どうしてこの文章を書き始めるのか。まるでくどいけれど、でも書いてかなくてはならないこと。
 そういうことか。

 とにかく、完璧な文章というものは存在しない。


風の歌を聴け

講談社

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