アンダルシアのシナモンガーデン。

「これって何?」

ムール貝

「ふーん、ムール貝って何?」

「これ」

 僕たちが食べていたイカ墨パエリアにはムール貝が載っていた。僕はムール貝のことを良く知らないし、ムール貝を見ても、それがムール貝だなんて分からなかった。だから、これは何かと質問する。これはムール貝だよ。ムール貝って何なの? ムール貝ってこれのことよ。だから、ムール貝って何なのさ? だから、ムール貝ってこれのことよ。いや、だから、これって何のこと? これってムール貝よ。…

 [ムール貝  ⇔ (目の前にある)これ]

 独立して切り取られた、どこへも行かない世界。それだけで完結している世界。このとき言葉は意味を持たないトートロジカルなものになる。ソシュールが言ったように、言葉は物の名前ではない。

 お腹がすいて、ご飯を炊いて、トマトバターライスを作る。絶対にまずくなるに違いないと思いながらも、目の前にあったシナモンを入れてみたいという誘惑に負けて、僕はシナモンを少しだけ入れるつもりだった。ところがシナモンはビンからどばっと大量にフライパンの中に入ってしまった。べつに取り除けば問題はないのだけど、僕は5秒くらい考えて、ままよとばかりに掻き混ぜた。案の定、出来上がったトマトバターライスはとても食べられたものではなかった。まるで漢方薬だ。途中で食べるのをやめて、今度は普通のバターライスを作って食べた。その後ついでにバターをまたフライパンに加えて、砂糖を入れてバター飴を作って食べた。

「ねえ、いったい何するのよ、痛いじゃない」

「叩く」

「やめてよ」

「もうやめてる」

「そういう意味じゃないでしょ」

「じゃあどういう意味さ。それに君は小学校で習わなかったのかい。人の嫌がることを進んでしましょう」

「それもそういう意味じゃないわ。あなた馬鹿なんじゃない。人の嫌がることはしないで」

「そうか、なら今日から掃除するのやめるよ」

 言葉は言葉では説明できない。