ワンダータワーと赤い葉っぱ。

 土曜日の午後、私はKと嵐山へ出掛けた。時期に少し遅れた紅葉狩りの為である。西院から、ややすれば薄曇りの冷たい空の下を至って頼りのない線路に引かれた京福電車に乗り込み、終着の嵐山で駅を降りると、前の通りをびっしりと人が歩いていた。私達は特別の目的地を立てずにふらふらとやって来たので、駅前の往来を右へ進むのか、それとも左に進むのか、立ち止まりしばし考えやがては左の道を歩くことに決めた。「とりあえず川へ行ってみよう」左へ行けば渡月橋の架かった桂川へ出る。

 川に沿って走る道を渡ろうと、観光客に塗れて信号を待っている間に、私達は川向こうに見える山肌の色合いが深緑であることを見知った。そこには赤色も黄色もほとんど見られはせず、あるのは只深く静かに、重々しい緑を身に付けた木々の葉の、曇天に気圧されたかのように低い山並みだけであった。加えて川をひゅーっと冷たい灰色の風が駆け上る。私達は川に背を向け、もと来た道を戻ることにした。

 まだ駅へも戻らぬうちに、Kが入ると言うので私達は器の店に立ち寄った。私が並べられた器を無造作に扱い過ぎると言って、Kは私のことを非難したが、器というものは、特に精巧な器というものは一寸ぞんざいなくらいの扱いが丁度良いのである。
 それから、また暫く歩くとコロッケを売る店が出ていて、「嵐山名物コロッケ」と書いた看板を掲げていた。私達は嵐山でコロッケが名物になっているということを知らなかったので「また勝手を言う」と笑い飛ばしていたのであるが、なるほどその店の周囲には立ってコロッケを齧る人間がそこここにあり、私達は勝手な宣伝文句の効用を目の当たりにした。
 美空ひばり館の存在はずっと昔から知っていたが、私は美空ひばりという人物にそれほど関心がなく、また観光地にのみ存在することのできる独自の軽薄感を覚えるので、美空ひばり館に入ってみよう等とはこれまで一度も考えたことがなかった。それでも、前を通ったついでに入場料を覗くとなんと1600円であった。実に強気の値段設定に違いない。

 それから、僕たちは天龍寺へ入った。
 最初に雲龍図を見たのですが、只大きいだけでなんてことのない絵だった。もっと迫力があるのだろうと思っていたのですが、本当になんてことのない絵で、新しいことは知っていたけれど、それはやけに現代的なイラストのような線を持っていた。イラストレーターか何かのソフトで書いて大出力のプリントアウトをしたみたいに見えた。
 寺の建物自体は、明治に再建されたということで、なんだか普通の家のような書院造りでお寺という感じがしない、それから僕は照りを持たないお寺の床というものをとても久し振りに見たと思う。でも、流石に書院などはうまくできていて、こういうところに住むのもいいなと思う。
 Kは紅葉狩りに主眼を置いていて、遅い時機のくすんだ紅葉に期待を失っていたけれど(それに彼女は天龍寺には一月くらい前に来たところだった)、僕は建物自体により強い興味があるので、ほとんど建物ばかりを見ていた。瓦の模様や木の様子や、何もかも京都の寺という基準からすればやけに新しくて、僕はお寺のオーラみたいなものを感じることはできなかった。

 曹源池を取り巻く庭を北へ抜けて、私達は北門から天龍寺を出た。庭にはいくらか鮮やかな紅葉も残っていたのでKは時々立ち止まって「この木はきれいだ」と言っていた。私はこのように紅葉に対する感覚の高い人を初めて見たので少しく私自身を恥じて、かつ影響を受けた。それまでの私はといえば、木の葉よりも地面の砂利石ばかりを気に掛けて、その灰色の味気ない石がどれだけ庭を駄目にしているのか寺の人は気が付かないのだろうかと文句ばかり考えていた。私も空を見上げることにした。

 竹林を抜けると常寂光寺という寺があって、僕は入り口の階段になんとなく惹かれたので、「ここに入ってみよう」と言って良く分からない寺に入った。すると驚いたことに、ここは小倉山で、なんと藤原定家の山荘があった場所で、しかも歌仙嗣という定家を祭ったものまであった。僕は新古今のアバンギャルド藤原定家が最近結構好きなので変に嬉しくなる。

 小倉山しぐるヽこころの朝な朝な昨日はうすき四方のもみぢ葉

 鎌倉時代、この小倉山というところには宇都宮入道という人の家がありました。彼はもちろん宇都宮の出身で、お金持ちだったけれど、当時の感覚から言えばど田舎の出ということで、文化に憧れて京都に来てみたけれど、でも本人は至ってセンスのない、やっぱり只の田舎の人でした。だから、彼が藤原定家に命じて編纂した超有名な「小倉百人一首」は”やけに分かり易い”歌ばかりになっていて、歌集としてみればその質はけして高くない。定家が宇都宮入道のレベルに合わせて選んだからです。お金を出す人は宇都宮入道だから、貧乏人の定家にしてみればそうする他なかった。だから百人一首というのはとても有名だけど、いいのか悪いのかは別の話だということです。

 夕方になり寒さも一入になったので、街に引き上げようと小道を歩けば柿落舎の前に出た。私の希望でそこへ立ち寄ってから駅に向かうことにした。途中、小物屋へも寄り一頻り物色してKは色紙を買った。
 まだ六時も回らぬうちに日は暮れ落ち、もともとの空曇りも手伝い道は暗い。和風に設えた建物の窓から漏れる明かりに半身を照らされ、会魔刻に沢山往来する人の流れを美しく見る。賑わいの江戸の夜を描いた北斎を思い起こす。あるいは夜のカフェを描いた孤独時代のゴッホ。私達はKの鞄より取り出した菓子を摘みながら寒い寒いと歩を進めた。

 電車の暖かい席に座って、僕がポケットから芥川竜之介の文庫本を取り出すと、Kも羅生門がとても好きだと言った。それで二人して本をぱらぱらと眺めて、芥川竜之介や彼が王朝物として書いた時代の京都の話をしていると電車は終点の大宮に着いてしまった。僕たちはその手前の西院で降りる予定だった。つまり間の抜けたことに乗り過ごしてしまったのだ。
 反対方向へ出る電車に乗って西院に戻った僕らは、鍋を食べたりお酒を飲んだりして、すぐに朝方がやってきて、僕は慌てて自分の部屋へ戻り、2時間ほど眠ってからシャワーを浴びてアルバイトに行った。どうやら僕が眠っている2時間の間に雨が降り出したようで、寒く濡れた冬の朝を電車は通り抜けた。


これで古典がよくわかる

筑摩書房

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