流線形。

 12月の空に向かってしゃがれた声で歌うのさ。冷たい空の向こうでは小さくて青い星が光を放ちながら回転している。青白い星ほど温度が高いなんて本当は出鱈目なんじゃないだろうかと僕は思う。星は冷たいアイスキューブのように見えた。あるいは深い海を泳ぐ魚の鱗。僕は堤防のベンチに座っている。そしてボブ・ディランの歌を真似ていた。西暦はまだ1900年代、20世紀の終りで、僕はまだ二十歳を過ぎたばかりだった。

 全ての物事には始まりと終りがある、という一般的な見解は多分誤りで、本当はまったくの反対だ。全ての物事には始まりも終わりもない。全ては永久に長く、無限光年の彼方まで織られた一連の葛篭なのだ。ただ僕たちは小さくて、すべてを見ることはできない。でも、見えないからといって存在しない訳ではない。

 時間が流れ、知らなかった人と知り合い、知っていた人と会わなくなり、それでも僕は少し歩けばまだそのベンチに座ることができる。もちろん、座ることができるというのと実際に座るというのは別の話だ。歌わない歌は忘れてしまう。思い出そうとして、歌詞とコードがびっしりと詰まった本を、ボロボロに使い込まれた本を引っ張り出してみても、そこには大切なものが失われていた。僕は自分がどうしてこんなにボロボロになるまでその本を使っていたのか、今となっては全然理解できなかった。それはとっくの昔に使い果たされたのだ。

 一昨日、Eちゃんとあるお店に御飯を食べに入るとPがいた。Pが昔そのお店で働いていたのは知っているけれど、最近は彼女と疎遠だったし、それに随分前に「もう辞める」というような話を聞いたことがあるので、まさか僕は彼女がまだそこにいるとは思わなかった。
 Pは僕にとても大きな影響を与えた人の一人だ。もう本当に何年も何年も前に、あるイベントで彼女は映像を流していた。僕たちは簡単に話をして、彼女は何かのお土産だと言って何かの饅頭をくれた。そしてカチンと明確な音を立ててポイントが切り替わった。

 ポイントはこれまでに何度も何度も切り替えられた。その度、僕は進行方向を変えた。やがて、自分が一体どこの線路を走っているのかも良く分からなくなった。ようやく最終到着駅を見付けたと思えば、その駅は果てしなく遠いし、電車ではそこへ行けないかもしれないと言われる。「電車では無理じゃないかな。飛行機か、もしかしたらタイムマシンが必要になると思うよ」

 飛行機は恐るべき速さで飛び去り、Eちゃんは一瞬にして500キロの彼方へ戻って、今頃はケーキでも焼いているんだろうと思う。そして人類は楽園を探す旅を再び始める。もしも本当に人類がサルから進化したのなら、探さなくても昔は楽園だった。森の気候は温暖で、天敵もなく、食べ物は豊富にあったのだ。メーテルリンクが言ったように、それは本当は旅に出る前にそこにあった。
 だけど、僕らの祖先は遥か昔に楽園を出た。戻るには飛行機か、もしかしたらタイムマシンが必要だという。全く無茶な話だ。

 そのとき、キャロルは小さな声で言った。

「私は本当は、別に楽園なんて好きじゃないの」