カーテン。

 もしも誰かが謎の病原菌を作って、それを世界にばらまいたとしたらどうだろうか。

 さらに、彼はその病原菌のことをとても良く研究していて、治療薬も持っている。そして言う、

「さあ、みなさん、世界は今謎の病気に侵されつつあります。私の病院にはそれを治すことのできる薬があります。病気を治したければ私の病院に来なさい。来ない人は病気で苦しむしかありません」

 そうして、彼の病院は大儲けしました。

 ひどい話だ。
 でも、ニーチェをはじめとしたアンチクリストの思想家達はキリスト教をこういう物だと言った。
 イエスは本物の宗教者だったが、彼は死んだし、その思想は正しく受け継がれなかった。教会というシステムはイエスの教えの為ではなく、教会それ自体の保身の為に存在している。

 彼らは、「原罪」という名の病原菌を世界に一生懸命にばら撒き、そして教会に来て我々の前に跪くものだけが救われるのだという体系を作り上げた。人間は生まれながらにして罪深い生き物であるという、強力に民衆を抑圧する思想を世界中に垂れ流した。
 そして、「言うこときいて、お金を持ってきたら罪を消してあげるよ」と罪の意識に苛まれる人々に教えた。
 ニーチェ達はこれに対してほとんど激怒している。

 イエス自身は一言もそんなことを言っていない。
 彼はむしろ教会なんていうシステムに反抗する者だ。人間を抑圧するような「宗教」を解体しようとするものだ。

 最近、つくづくと思うのですが、西洋の思想や社会を学ぼうとするとき、キリスト教というものを避けて通ることはできないですね。
 2000年も昔に死んだ一人の男の思想がこんなに世界中で繁栄しているなんて、なんてすごいことだろうと思っていたけれど、より詳しく知るにつれ、実は今世界にあるキリスト教はイエスの思想ではなくて「イエスの思想を利用したもの」でしかないことが良く分かった。それはこないだYちゃんが「キリスト教って、なんか確固たるものがあるように見えるけれど、あれほとんど亜流ばかりだよ」と言っていたことからも伺える。

 もしも、どこかの小さな新興宗教がキリスト教と同じことをすると即座に叩かれるけれど、キリスト教は大きくなり過ぎているので、僕たちはその巧妙なやり方になかなか気が付かない。自分の周囲を取り囲む巨大なものを疑うことは、偏在するものを疑うことはとても難しい。ニーチェの天才の一部は、当時のヨーロッパをほとんどすっぽりと覆っていたキリスト教に「否」を突きつけたことにある。

 僕は日本人なので、この辺りのことを感覚的には理解できない。でも、日本人をすっぽりと覆っているものの存在を考えないではいられない。