楽園から100マイル。

 古本屋で見付けて、とても久し振りにムツゴロウさんの本を読んだ。その中に、ある漁師が嵐をどうにか切り抜けて帰還するという話が出て来て、そして僕は思う、「どうして沈まない船を誰も作らないのか?」。

 たとえば、ビーチボールは嵐ごときでは沈まない。どうしてかというとビニルである空間を作り、その中に空気を保持しているからで、どんなに波で揉まれてひっくり返っても浮力を失うことはないからだ。
 対して、船というのは単に水面にお皿を浮かべただけで、高波が来てひっくり返れば沈むのは当たり前だと思う。復元力や船倉を区切る以前の問題として、空気を閉じ込めて、海水の浸入を一切防ぐ構造にすればいいと思う。潜水艦は作れるのだから、やれない筈はない。

 嵐といえば、台風の度に壊れている街を見て、やっぱり僕は思う。

 「どうして台風ごときでは壊れないような家を作らないのだろう」

 ドームみたいな形状にして、構造と外壁をもっと丈夫なものにすればいいのに、どうして日本の代表的な家屋は垂直なもろい壁を立て、吹けば飛ぶに決まっている瓦を屋根に載せているのだろうか? そして毎年台風が来て大騒ぎして、挙げ句の果てには死者まで出る。毎年だ。僕たちは何も学習しないのだろうか。自然の脅威だというけれど、本当だろうか、僕らが手を抜いてるに過ぎないんじゃないかといつも思う。寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやってくる」と言ったけれど、人間って本当に忘れ易いものだ。

 床上浸水とか、床下浸水とか津波とか、いつもいつも大騒ぎしているけれど、本当にそれは恐れるべきものなのか? 水が入らない家くらい作れる。

 誰も本気で防災に重きをおいた家を作って来なかった。本棚に転倒防止器具を取り付けて喜んでいる場合じゃない。家自身が壊れるのだから。本当にしなきゃいけないことは壊れない家を作ることだ。
 例えば、僕たち人類が火星に移住して、そしてそこに家を建てるなら、きっとすごく頑丈な家を建てるに違いない。でもここは地球だから、ちょっと舐めきった家ばかり建てて、それでいざというときに困っている。それも何千年も。

 問題なのはいつもコストで、たとえば気密性がとても高くて丈夫で、津波を被ってもへっちゃらな家を作ると、普通の家を建てるよりもずっとお金がかかるだろう。
 だけど、それはその手の家が大量生産されていないからで、量産体制を作れば必然的にコストは下がる。その昔イームズがやろうとしたことは、大量生産できて機能的で美しい家具や家を沢山作って、安くて良いものを民衆に届るということだった。今は大量生産できて安くて機能的で美しい、そして安全な家を沢山供給する必要がある。

 僕らは台風や地震なんかじゃ誰も死なない世界を、本当は作れるのだ。
 なるべく人は死なない方がいい。