ヌーベルバーグ。

 昨日の夕方、Uに誘われて日仏学館へ古い映画を見に行った。
 冒頭から信じられないくらいに幸福な家族が描かれ、やがて父親である主人公が浮気をし、それを奥さんに告白すると奥さんが自殺してしまい、主人公は浮気相手と再婚して淡々と生活は続いていくという重たい映画。でも映像はいいし、描き方がどろどろとしていない。気分は重くなるけれど、映画を見るのは楽しい。

 先日の日記に、茂木健一郎さんのいらっしゃるシンポジウムを見に行ったということを書きましたが、このあいだから僕にはその影響が現れてきました。

 話し方が茂木さんのようになってきた。

 茂木さんはとても早口でまさしく機関銃のようにお話になるのですが、昨日、友達と話していて「あれっ、今の話し方、誰かの話し方に似てるな。そうだ、茂木さんって確かこないだこういう感じで話してたな」と思った次の瞬間から、僕の話し方は茂木さんのコピーみたいになってしまい、もう自分ではどうすることもできなくなってしまった。
 バイト先で生徒と話していても、別の人と話していても、やっぱり僕の話し方はもう変化していて、元の話し方が分からなくなってしまった。

 こういうことって、よくありますよね。

 統計力学特論の第一回目の講義は量子力学の復習で始まって、僕はやっぱりこの世界の実体について頭を悩ませる。
 物は、粒子であり波でもある。粒子や波というのは人間がただイメージしやすいだけの像で、実際には粒子であり波でもある「○○」なんだけど、残念なことに人間の頭では「○○」を想像することはできない。

 これはよく、盲目の人がゾウを触っているのに例えられる。
 鼻を触って、尻尾を触って、「えっ、これって一体なんなんだ?」と彼は悩む。
 目の見える人間には一目でゾウだということが分かるけれど、盲目の人には想像すら叶わない。
 宇宙の実像に関して、人類は全然見る目がなくて、この閉塞感が悩ましい。

 でも、僕はいつかこの見えないものを見たいと思う。
 量子力学的なミクロの世界と、古典力学的なマクロの世界の間のメゾスコピックな系では、なにか量子的効果と古典的効果の両方がうまい具合に現れて、あとは僕たちの観測方法の工夫次第だという現象が実はたくさん起きているんじゃないかと思う。


幸福

アイ・ヴィー・シー

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