ジャパニーズ。

 昨日は夕方まで予定のない、比較的ゆっくりとした一日だったので、お昼まで僕は本を読んだり音楽を聴いたりしてゴロゴロしていたのだけど、Aちゃんからランチのお誘いが来たので慌ててシャワーなんて浴びてしゃきとして外にでた。
 風が強いけれど、秋にしては暖かすぎる昼間だった。
 最初はCi4で食べる予定だったのですが、なんとCi4は潰れてしまったようなのでSpeak easyに変更して、Aちゃんは良く分からない御飯を、僕はチーズバーガーをほうばった。
 極々大雑把に書くと、僕とAちゃんは研究をやめて楽して楽しく生きたい、というような怠惰な意見の一致を見て、それを実現する方法や、国を作りたいとか、だいたいはそんな話が止まらなくなって、気が付くともう5時前になっていたので、「今度バグダットカフェでも見よう」と言って僕は慌てて造形芸大に向かった。

 造形芸大へはOさんと、すこし前のブログにも紹介した茂木健一郎さんのいらっしゃるシンポジウムを見に行ったのですが、僕もOさんも特に下調べをしないで行って、造形大についてから要申し込みと知って一瞬慌てたものの、でもこういうものはやっぱり当日飛び込みでも全く問題がなかった。
 シンポジウムが始まる前に、僕はOさんに「クオリア」の概念を説明しようとしたけれど、うまく伝えることができなかった。あとでシンポジウムを聞いている最中にもっと良い説明を思いついたけれど、それを話すのも忘れてしまった。

 催しは外で、蝋燭の明かりの中で行われたのですが、僕は半袖で2時間半秋風に晒されて、そしてとても久し振りに「寒い」という感覚を体験した。これからますます寒くなるのかと思うと寂しい気分になる。

 僕のこのシンポジウムの目的は茂木健一郎さんだったのですが、一番印象に残った人は意外なことに俳人黛まどかさんだった。
 僕は正直な話、俳句にはほとんど興味が持てないし、俳人という肩書きには全くなんの魅力も感じない人間で、黛さんのことだって名前しか知らなかった。
 でも、話を聞くと彼女は華奢な外見とは裏腹に、とてもタフな旅をして、身体を酷使するなかで生れる感覚をきちんと文学にリンクさせるという人だった。900キロに渡るスペインにあるカトリックの巡礼道を歩き、その中で感じたことと芭蕉奥の細道を結び付けた話はとても面白かった。結び付けたというか、それは勝手に結びついたもので、黛さんが旅の過程で芭蕉の記述を自然に思い出し、思い出すことによって目の前の景色も変るというような、文学や言葉の持つ力の本質に迫る話だった。
 彼女は巡礼道の途中、山の中で息を切らせて倒れ込み、目の前にスミレを見る。

 山路来てなにやらゆかし菫草

 茂木さんは身振り手振りの早い、とてもユニークな人だった、他の人が話をしているとき、彼はエビアンのペットボトルを転がしたり、パシャパシャ振って中の水を観察したりしていた。

 他に柔道の山下さん、、アートデレクターのタナカノリユキさんの話があった。

 それから最後にモデレーターの椿さんが、アジアの国でロープを作ってもらったときの映像を見た。一人の青年がロープを作る機械を率先して動かして、他の人々は周りでぼーっと見ているだけだった。

 「彼みたいな天才が村に一人はいて、他の人を養ってるのね。周りの人は養ってもらっている人々で、みんな、何もしないでぼーっと見てるだけなんだけど、なんか僕はこういうのありなんじゃないのかと思うんですよ。一人が周りのぼーっとしてる人を食べさせるっていうの」

 同感。

 シンポジウムが終わると、体はすっかりと冷え切っていて、僕はOさんを松ヶ崎まで送って、それから部屋に戻って長袖に着替えた。

 その後、10時に四条烏丸でKと待ち合わせて御飯を食べに行った。
 金曜日の夜で、まだ10時だというのに、僕がベンチに座ってKを待っていると、隣に座っていた男はすっかり酔っ払って何度も地面に崩れ落ちそうになっていた。彼にとって夜はもう終わりに近く、僕にとってはまだこれからだった。僕はこういうときに感じる違和感になかなかうまく馴染むことができない。順番を待つ人、終えた人。手を繋いで歩く恋人の隣を走り過ぎる救急車。物乞いをする男とロレックスの男。僕らの住むこの世界では、ありとあらゆる立場を異なえる人々が同じ空間に隣り合わせで存在している。

 僕たちは日本食のお店に入り、そして食べたり飲んだり話したりした。名前がカッコ悪いけれど、とてもおいしいお店だった。もちろん、名前よりもおいしいことの方がとても大切。

脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか

日経サイエンス

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