パリジャン、喧嘩をする。

 御飯を食べようと思って、テレビを点けてみると能の番組だった。
 能のことを僕はほとんど知らない。一度、野外の焚火能を見てみたいと思うのだけど、なかなか普段の生活では意識できなくていつどこでそれが行われているのかキャッチすることができない、能に対するアンテナの感度は低いと言わざるを得ない。

 ノリが悪いとか、いいとか、この「ノリ」という言葉は能のお囃子の人達のリズムをさす言葉に由来しているそうです。

 能の動きはとても独特で、僕は足の運びばかりが気になるのだけど、能も踊りなので身体運用が何かのシンボルになっていることが多い。でも、それが一体なんのシンボルなのか、僕にはなかなか分からない。
 そして、運足が何を表しているのかという解説を聞いて、一瞬こう思った。

 「分かり難い芸術ってなんかばかばかしいな」

 でも、そのすぐ直後に思い直した。

 「本当に分かり易いアートがいいんだろうか?」

 これは僕だけじゃなくて、ポストモダンの、というかここ十年くらいの傾向だと思うのだけど、「分かり易い」ということが一つのキーワードになっているような気がする。
 この間、絵の話を少しだけしていて、その時の僕たちの意見は大方「ぱっと見てぐっと来るのじゃないと駄目だと思う」というものだったけれど、果してこれって正しいのだろうか?

 哲学でも物理学でも数学でも文学でもなんでも、あるいは各職業に関して、本質を見抜く為には質の高い訓練が必要とされる。芸術だって歴史的に考えてみたら、革新的なものはその時代にうまく受け入れられはしなかった。
 なんというか、真に新しいインパクトのあるものを見て、あるいは聞いて、それを「すごい」と一瞬で感じ取れるなんて虫が好すぎるんじゃないだろうか。
 本当にすごい芸術作品というものは、僕たちにはそれがどのくらいすごいのか理解できないくらいすごい筈だと思う。
 そうして、時間を経た後に、知性の力も借りて真のすごさを理解するに至る。

 その昔、天体の公転軌道は円だと考えられていた。
 なぜなら、円というのがシンプルで一番美しいと、当時の物理学者達は直感していたから。
 でも、実際には天体の軌道は円ではなくて「楕円」になっている。
 そして、これはとても大事なことだけど、円よりも楕円の方が数学的にとても美しいし真理に近い。楕円というのは円を包含した方程式になっている。これは直感では絶対に分からない美しさ、すごさだと思う。数学を学ぶという過程を経てはじめて分かること。

 当たり前だけど、僕たちは直感でなんでも分かる訳じゃない。