スタイル。

 はじめにくどいようですが「中州パーティーのお知らせ」を簡単にまた書いておきます。
 詳しくは2つ前のブログに書きました。

 『中州パーティー』
 2005年9月2日金曜日@鴨川公園(出町柳)19:00〜27:00 無料

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 僕は京都という街に住んでいる。
 この街のことをときどき好きだと思う。
 だけど、同時に汚い街だなとも思う。

 今日、テレビを点けてみるとクロアチアの美しい街が映っていた。
 それは本当に美しい街だった。
 僕は京都の混乱した町並みを思う。
 ここはアジアの街なのだな、と妙に納得する。

 僕はときどき京都を観光している外国人のことが気になる。
 彼らから、楽しい、という印象を受け取ることはほとんどない。
 みんな、京都、あるいは日本という旅に疲れ果てているように見える。

 僕はあるスペイン人に
「もっときれいな街だと思っていた。汚いところだし早く帰りたい」
 と言われたことを忘れやしない。

 北欧からやってきた女の子には
「京都きれいだと思う。好きよ」
 と言われたけれど、僕は彼女の国のことを考える。
 そこはとても美しい国だと僕は知っている。

 僕は別に汚い混乱した街が絶対に嫌だという訳ではない、
 都築恭一のTokyo Styleが切り取ったようなかっこよさに近いものだって感じる。
 でも、ちょっとな。
 京都ってなんだろう。
 ときどきゴミ箱みたいに思う。

 昔、安藤忠雄さんが講演で大阪や東京の街を空から撮影した写真を見せてこう言った。

「えー、建築では、建蔽率というものが法律で決められておる訳ですが、
 土地の何パーセントまで建物にしてもいいです、それ以上は駄目、
 というのが決められておる筈なんですが、この写真で見る限り、ほとんど全部建物ですね。
 みんな法律違反ではないのか、これはどういうことなのか」

 会場は、彼の独特の口調もあって大笑いになった。
 でも、実際僕たちはひどいところに住んでいるな、と思う。

 ぺらぺらの大量生産の家が嫌いだ。
 アルミサッシの付いた和風ではない家に、
 何故か瓦が乗っていて、
 変な日本独特のスタイルの家が日本中を埋め尽くす。
 全部とてもカッコ悪いと思う。
 誰がこのような家を好きなのか僕には分からない。

 そして、それは大抵の人にとって人生最大の買い物なのだ。
 30年のローンを払う対象なのだ。
 騙されているような気分がしないだろうか。
 僕には分からないことが多すぎる。

 日本中に、誰かが作ったものが溢れている。
 僕たちの視界はほとんどすべて人工物に覆われている。
 その労力を、電車の車窓から眺めていると頭がくらくらする。
 向こうに見えるビル一つ作るのだって大変な労力が必要だ。
 見渡す限りのビルを作るにはどれだけの人々がどれだけの時間働いたことか。

 ネジや釘の一つ一つに至るまで、全部、誰かが考え設計し製造した。
 人類は土と木と水と石から、はるばるこんなところまでやってきた。
 それはすごいことだ。
 でも、ちょっと誰もいいと思わないものまで作り過ぎたのではないかと思う。
 要らない物はいらない。