海へ行くつもりじゃなかった。

 昨日はBと、Wちゃんでナイトクラビング。
 といっても、メトロのストビという超マイナー路線ですが。

 僕は2年ぶりぐらいなんじゃないだろうか、このイベント。
 ストビというのはストーンズビートルズのことで、ほとんどストーンズビートルズしかかからない。もはやクラブイベントではないような感じすらします。

 love,love,love...とか
 give peace a chance...とか
 let it be...

 などと叫びながら、少ないお客さん(たいてい20人もいれば多いほうだ)が全員肩を組んで円陣を組みながらぐるぐる踊るという異常なイベントです。

 それで、まあMCにはlove&peaceへの思いの篭ったものが語られるわけだけど、僕はなんというかいつも違和感を感じざるを得ない。

 昨日はストーンズビートルズもイギリスのバンドだし、「こないだのテロからはやく立ち直って欲しいという願いを込めて、この曲をかけます」というMCがあった。
 だけど、まあ当然ここでそんなことを言っても英国には何も伝わらない。

 もちろん、僕はこのMCと共に音楽をかけるという状況を理解して受け入れることができるし、これはこれでいいことだと思う。
 京都の小さなナイトクラブで、みんながそのような願いをもつことは大変に素敵なことだと思う。スタイルだとしても。

 僕はこのとき、それとは別に「メッセージを伝える」ということを考えた。

 shall we dance? の周防監督がとる基本的なスタンスは「どうすれば見ている人に伝わるのかを考え抜く」というもので、僕はこれはとても他人のことを考えた、つまり優しくて誠実なスタンスだと思った。
「分かる人にだけ分かればいいという考え方もありますが、僕は見る人に分かってもらえるように努力をします」

 村上龍は何かのエッセイで、「届けようという意思のないメッセージ」を批判していた。たとえば、日本のサラリーマンしか読まない日本語で書かれた雑誌に投稿されたブッシュ大統領への批判だとか、主婦しか読まない雑誌にのっている若者に対する批判。
 これらは、批判の対象に言葉を届けて何かを変えようという意思を持たない。たんなる陰口に過ぎないし、その陰口をみんなで楽しむという雑誌の持つ閉塞性を彼は嫌悪する。

 伝えようという意思はとても大切だと思った。
 それは僕にも大きく欠如しているものだ。
 どうしたら現実に声が届くのかを考える。

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 小沢征爾さんの「僕の音楽武者修行」を読んだ。
 彼が23歳(だったと思います)で単身ヨーロッパに乗り込み、コンクールで次々に一位をとり、それから色々な国を行き来してニューヨークフィルの副指揮者に任命されるまでを書きつづったものです。

 本が書かれたのは26歳のときで、文体が恐ろしく若い。
 とても力強い本だった。
 僕は小沢家というのは元来裕福なのかと思っていたらそうではなく、貧しくても子供たちには自由に教育を受けさせるという家風だったようです。
 お金がないので小沢さんは、ヨーロッパでの足にスクーターを用いることにし、あちこち探してやっと川崎からスクーターを借り受けます。ただし、条件があって。

 1、日本からだと分かるようにすること。
 2、音楽家だと分かるようにすること。
 3、事故を起こさないこと。

 3はとにかく、彼は1,2を満たすためにスクーターに日の丸ステッカーを貼って、ギターを担いでバイクにまたがるというスタイルでヨーロッパを旅することになります。

 渡欧も、貨物船に乗って手伝いながらで、こういうパワフルなところは見習わなくてはなと思った。




ボクの音楽武者修行

新潮社

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