万国博覧会。

 22日は、朝7時ぴったりに京都駅を出る新幹線に乗って愛知万博へ行った。
 朝の7時に京都駅にいるなんて、とても久し振りのことだった。僕とMはお弁当と飲み物を買い込み、ひかりに乗った。運の悪いことに、ひかりはなんだかゴムの焼けたような嫌な臭いが少ししていて、岡山や新大阪からの乗客が平気な顔をして乗っているので驚いた。そんなに強く臭うという訳ではないけれど、でも普通こんな臭いはしないよな、と思いながら、Mに「変な臭いするし違う車両に変えてもらおう」と言うと、彼女はきっぱりとそれを否定した。

「大丈夫だって、みんな普通にのってるじゃん。それにすぐ着くし」

 平常性バイアス。
 こうして、防ぐことのできた事故が防がれずに起こってしまうのだな、とぼんやり思う。この車両に乗っている人々が、五時間後に全員別々のところでこのガスの所為で死んでしまわないとも限らない。

「すぐにって言っても40分とか50分かかるんだよ。体が反応したことには素直に従った方がいい」

 結局、彼女はイエスと言わず、その車両でそのままお弁当を食べる。
 臭いにはすぐに慣れてしまった。米原から乗って来る客は「どうしてこの人達はこの臭いの中で平気な顔をして座っているのだろう」と、さっきの僕と同じことを思うのだろう。

 特にこの匂いによって被害があったということは、一日経過した今でもないけれど、でも、このときに席を移らなかったことはこの日最大の失敗だった。
 とても後悔している。
 間の抜けた、鈍感な何かに成り下がった瞬間。大袈裟だろうがなんだろうが、僕は自分の反応した通りに動かねばならない。

 ワゴンで売りに来たコーヒーを、何人かのサラリーマンが買い。今度は幾分コーヒーの匂いがする。
 売り子さんがコーヒーを入れていると、トイレに行きたい誰かがその横を無理矢理通った。とても窮屈そうで、僕はどうしてワゴンは通路一杯の幅で設計されているのだろうと思った。もっとスリムに設計するといいと思う。

 名古屋で新幹線を下りて、ノーマルなJRにスイッチ。朝の8時に名古屋にいるというのも、とても久し振りだった。シャトル快速で万博八草まで40分。そのあとリニモに3分くらいでやっと万博に辿り着く。
 ものすごい人出。

 9時開門で、炎天下に45分並んでやっと入場。
 入場にどうしてこんなに時間が掛かるのかというと、荷物をチェックされる為。一人一人鞄の中身を見せて、金属探知器のゲートをくぐらなくてはならない。
 ここで、人がたくさん待つのは容易に予想されることなのに、どうして屋根くらい作らないのかと思う。45分も並んでいると、自然に周囲の人と言葉を交わすようになり、誰かが状況に文句を言うと老いも若きも反応する。

 入場して、まず企業のパビリオンの様子を覗いに行く。
 自分で異常にテンションが上がっているのが分かる。なんといっても万国博覧会なのだ。

 パビリオンは、もちろん人だらけ。
 いきなり「待ち時間180分」と書いてあって、これはなかなか手強いな、と思う。

 「日立館の整理券は、今回の分はなくなりました。12時から次回、配布します。並んで頂けるのは11時からとなっております。今は並んで頂くことができません」

 と日立館の前で係の人が叫んでいる。
 時間はまだ10時にもなっていなくて、このアナウンスが流れていても炎天下でいくらかの人が並んでいた。
 11時から並ぶことができて、12時から配布するということの理由が良くわからないけれど、取りあえず10時半に戻って来ることにして、イスラム系の展示へ行く。

 最初はサウジアラビア館。
 兎に角、展示よりもエアコンの効いた直射日光の当たらない空間に入ったことに感謝する。
 円柱状の部屋では360度の映像でサウジアラビアのフィルムが流れ、なかなか面白かった。設計は立ち見を前提にしているようだけれど、僕とMは地面に座り、座ると小さな子供と目があった。子供は背が低くて大変だな、と思う。

 イエメン館。
 展示らしい展示なし。アクセサリー売りみたいなのがひしめき合った商店街になっていて、真剣にアラブっぽい人達が売っている。ただのお店。あやしい感じが良かったし、僕は朝からずっと「今日は異常にグレープフルーツが欲しい」と言っていたのだけど、その場で絞ってくれるグレープフルーツジュースがあって飲む。

 10時半になったので日立館に戻ると、すでに結構な人が並んでいて、係りの人は相変わらず「11時まで並べません」と叫んでいた。
 どんどんと人が増える。
 日差しは強く。僕は頭にガイドブックを開いて載せた。Mは帽子を深く被っていたけれど、日傘を忘れたことにとても後悔していた。
 人が増えるに連れて、人口密度も高くなる。近くで小さな子供が泣き出した。赤ん坊を抱えた人も結構見掛けたけれど、あんなところに赤ん坊を連れてくるべきではないと思う。100%駄目だと思う。

 やがて、11時が近づき、ゲートが開く。
 「ここにいる人達はみなさん入れますから、押さないで下さい。ゆっくり、少しずつですよ」
 わずかに進む。
 僕は言う。

 「ほんとにこれ並ぶ? あと2時間は多分こんな状態が続くと思うよ。こんなの人間のすることじゃないよ」

 「うん、並ぶ」

 「分かった」

 前方では押し合いが起こり、僕たちのいるところの圧力も高くなってきた。老人も子供もいた。僕にはどうしてここに屋根を作って空調を入れないのか全く理解できなかった。パビリオンの中にいるよりも並ぶ時間の方がずっと長いし、人々が長時間並ぶことは容易に予想されたはずだ。なのにどうして設計者はそれを考慮しないのか? ここにはコストを掛けてもいい筈だ。これでは全く客のことを考慮した設計になっていない。彼らは「熱中症が多発しています。十分に水分を補給して下さい」と言うばかりだった。ペットボトルの持ち込みも禁止されているというのに。

 そして、僕達は信じられないアナウンスを耳にする。

 「今回の整理券配布に並んで頂ける方はここまでです。次回は13時からになります。これ以降の方は並んで頂いても整理券をお渡しすることはできません」

 さっきまで、みんな入れるから押すな、と言っていたのだ。僕は思わず強く言う。

「さっきまではみんな入れるって言っていたんじゃないですか?」

 他の人達も声を荒げる。後ろに並んでいたおばさんが、彼らはなんてアナウンスしたのか? と尋ねてきたので、僕が「もう入れないそうです」と伝えると彼女も信じられないと言う。
 もちろん、11時前に並んだ僕たちにも非はある。だけど、彼らは入れるとずっと伝えていたのだ。

 バカバカしいと言いながら、僕らはイスラムのところに戻ることにした。僕らが並んでいた列は、僕たちの後ろにもずっと長く続いていて、そこに並んでいる人々にはまだ「もう駄目」というアナウンスが伝わっていなかった。炎天下に汗だくになりながら並んだままだった。

 「もう、並ぶのはやめよう。企業館なんて別に見れなくてもいいよ」

 「うん」

 以降、僕たちは日本館に入る為に80分並んだ他はほとんど並ぶことがなかった。並んでいるところへは行かなかった。

 インド。ネパール。中央アジア共同。ブータン。モンゴル。中国。スリランカパキスタンバングラデシュ。イラン。キューバ。メキシコ。国連。ドミニカ。アルゼンチン。アンデス共同。中米共同。スペイン。イタリア。リビアクロアチアギリシャ。モロッコ。ヨルダンチュニジアブルガリア。北欧共同。ベルギー。ロシア。

 展示のレベルは国によって異なるけれど、大まかに言えば大体はプロジェクターで何かを写せばいいだろうという感じがした。20世紀は映像の世紀でもあったけれど、その総括だという感じもなくはない。
 そんな中、ヨルダンクロアチアの展示は現代アートに近く、趣向をこらしていることが伺える。

 日本館の360度全天球型映像システム「地球の部屋」は、基本的には良かったけれど、スクリーン自体の継ぎ目が見えてなんとなく仕事の粗さを感じないではいられなかった。
 「世界初の立体映像ジオスペース」に至っては、使っている技術の古さと映像レベルの低さに恥かしくなる。

 それだけ見ると時間が来て、僕とMはグローバルコモン4から企業パビリオンゾーンに、キッコロゴンドラで戻り、土産売り場を覗いて万博を後にした。
 夜の会場はとても平和な感じがしたし、とてもきれいだった。

 見てない物も多いし、暑さの弱まる夕方から何度か分けて遊びに来れればいいなと思った。
 とても楽しい一日だった。
 密なコミュニケーションがあった訳ではないけれど、こんなに色々な国の人に会ったのも初めてのことだった。色々な国に行きたくなると同時に、他国の国力の一端を知って、中には人口の6割が20歳以下だというフレッシュな国もあり、これから日本は高齢化が進んでますます国力を失うという危機感を強く持った。