スイッチ。

 それは真っ赤で、そして歯磨き粉のような味がした。
 まったくひどい代物だった。料理というものは適当に行ってもそんなにまずいものができはしないと思うのだけど、スパイスだかハーブだかの入れすぎで、食べると吐き気がして僕は鍋の中身を全部捨てて、代わりにカロリーメイトを食べた。
 部屋の中にはエアコンにかき回されたトマトの匂いが残っていた。

 「昨日、スイッチが入れられた」

 彼は電話機を左手でくるくる回しながら言う。

 「そう言うんだよ。適当な電話番号に片っ端から掛けて。確かにタチの悪い悪戯電話さ。でも、もう15年も前の話だから許して貰えると思う。それに、本当に俺は聞いたんだよ、そのスイッチの入る音を」

 時間が経てば、それで罪が許されるというものではない。時効というのは僕たちの社会が持つ法律の話で、もっと言えば単にコストの話だ。

 僕はたまたま、彼がかけた悪戯電話を受けた女の子のことを知っている。
 彼女は当時21歳だった。夜中の1時に電話が鳴って、受話器を取ると電話の向こうで誰かが言った。

 「昨日、スイッチが入れられた」

 そして、一方的に電話は切れた。電話は一方的に掛かってきて、そして一方的に切れた。後には意味ありげな静寂が残り、そして彼女は気が付かなかったけれど、電話が切れてからかっきり1分後にグラスの氷が解けてコチンと音を立てた。86年製のスコッチ、バランタイン

 そうか。と彼女は思った。
 スイッチは入れられたのだ。

 その夜、彼女は小説を書き始め、次の日会社を休んだ。2年後には新人賞を獲った。5年後には芥川賞を獲りそうになったが、もう一歩のところで届かなかった。でも、その年の6月に彼女は資産家の男と結婚した。男は彼女よりも3歳年下で、代々の資産家だった。2年後に双子の子供が生まれた。双子は親であっても見分けがつかないほど良く似ていた。彼らは面白がって双子の髪型を同じにし、そして同じ服を着せた。双子はすくすくと育ち、3歳の誕生日を迎え、その日彼らは離婚をした。子供は平等に一人ずつ分けた。

 東京と福岡に離れて住む同じ顔をした二人の少年は、全く同じタイミングでテレビのスイッチを入れた。誰も気が付かなかったけれど、それはあの悪戯電話が切れてからかっきり15年と一分が経過した時だった。