ビーチとラジオ。

 ハローハロー、こちら"beach boys & girls FM" 素敵な日曜のお昼にどうも皆さん、さあ昨日飲み過ぎたあなたもそろそろ起きてみよう! なんて晴れ渡った空。これこそカリフォルニアの夏ってものだ。ビーチはもちろん人で一杯。ここからも色とりどりの水着が見えています。イエー、いいねえ。これはもうきっと老いも若きもたくさん恋に落ちるね今日は。僕もビーチに行きたいけれど、でもここからみんなに素敵な音楽を届けるよ。えっ、なに、恋愛はもう懲り懲りなの! うーん、それは分かる、とっても良く分かるねー。でも、ちょっとビーチまで行っておいでよ。もちろん、何も恋をするためじゃなくても、友達や犬と楽しくできるよ。でもねー、今日は保証できるね。あなたはきっと恋に落ちるでしょう。なんせ、今日のカリフォルニアの空気はキャンディーの匂いだってしてるくらい。これはもう泣いたり笑ったりしようよ。それでは、アメリカのとっておきのロックンロールをかけます。アメリカに本物のロックはないなんて言うキミ、それは甘いよです。ロックは抑圧と苦しみの音楽じゃないんだからね。人間がいる限り、世界中のどこでだってロックンロールはなるもんだ。

 もちろん、日本でだって、この国でだって、ときにはコマーシャルの中でだってロックンロールは鳴る。場所なんて選ぶ性質のものじゃないのだ。

 昨日、死んだ人と話した。
 ロシアのお墓には死人と話すためのイスとテーブルが置いてあるということだが、僕の場合は本屋で立ったままだった。
 死んだ人と話すのがいいことなのかどうかは良く分からない。言いかえると死者のことを思い出したり、死者の何かを扱ったりすること、人が思い出す限り、死者は死者ではない。僕らの記憶からも消え去ったときに彼は本当に死者になることができる。
 だから、死んだ人のことは本当はそっとしておくべきなのかもしれない。

 だけどまあ、昨日、僕は死者と話した。
 死んだ人というのは、中島らもさんで、僕が昨日本屋に立ち寄ると、らもさんの親友が書いた、らもさんの本があって、僕はその表紙のらもさんの若いときの写真にものすごく惹かれて、その本を手にとった。
 美しい文章だった。
 死者に捧げられた文章というものはいつも美しい。
 存在するとは別の仕方で。

 本の中にはいくつかの写真が載せてあった。
 文章を斜めに読んで、そして何枚かの写真を見て、僕は鳥肌を立てた。
 存在するとは別の仕方で。

 彼の写真は僕にはこう言った。「打ち破れ」

 それはもちろん僕がそのとき思っていたことでもある。
 でも、死んでしまったらもさんがそのときそういったことも事実だった。
 部屋の中で煙草か何かを吸い、目線をこっちにまっすぐ飛ばすその写真は黙ってそう言った。

 ここでぐるぐるするのはもう飽き飽きで、たくさんの壁を仕立て上げたこの僕ははっきりいって今や何の価値もない。右にも左にも、上にも下にも、見えない壁が偉そうに立っていて、でもそれは本当は薄っぺらでパンチ一発で破れるものなのだ。
 見えない壁が見えれば、全ては簡単に進むだろう。
 でも、ちょっと大変なことに、その壁を見る為には、僕たちはまずその壁の外側に出てみなくてはならない。これはまあまあ大変なことだ。かといってこれは不可能なことではない。沢山の先人が壁の外へ出ていったし、僕の周りにも何人かそういう人はいる。

 この世界の外側に出ていきたい。

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