お気に入りの犬小屋と大きすぎる犬。

 内田先生のブログを読んでいると、「もう新しい仕事はしないと宣言してあるのに、どうして次々と当然のような顔をしてみんな仕事を申し込んでくるのだろうか、ということが書かれていた。

 僕は内田先生のように次々と仕事を申し込まれるようなことはないけれど、でも、こういうふうに「言った事をあまり真剣に捉えてもらえない」ということはよくあるし、僕自身、人の言ったことをあまり真剣に真剣に捉えることができない場合がある。

 このアンテナ感度の低下というのは、うっすらと社会の表層を覆っていて、その実とても根深く様々なものを侵食しているように思えて仕方ない。

 どうして僕たちが人の言葉をこんなに軽んじてしまうのかというと、それは自分が言葉を用いるときにもいい加減に言葉を用いる癖を持つ所為だと思う。
 たとえば、面倒なことは「また、今度」と言って、とりあえずその場を凌ぐ。もちろん、今度は永遠にやってこない。

 そういった言葉の使い方を覚えると、恋人と一緒に雑誌を眺め、そこに新しいレストランが紹介されてると、「今度、行ってみよう」とあまり行く気がなくても軽々しく言葉にしてしまう。そして時間が流れ、「あのレストラン一体いつ行くつもりなの?」と質問される頃には一体何の話なのか記憶にもないという具合になる。相手もそのときの言葉を信じていなかったなら、レストランの会話なんて全くなかったことになってしまう。

 相手の言葉を信用することをやめて、代わりに自分の想像で相手のことを判断する。

 とりあえず言い放ち、とりあえず聞き流し、今この瞬間も世界中で会話は語られ、ブログは綴られ、流れ渦巻く言葉の中でバランスのいいコミュニケーションをとることはいつも困難だ。

 でも、このバランスのとり方の中にコミュニケーションの本質というものは含まれているのだと思う。