さて、ビッグバンドの登場です。

 先日、レコードプレーヤーの針を折ってしまい、新しい針を買いに行った。僕は特にオーディオにこだわりがあるわけでもなく、針なんて一番安いものでいいのですが、島村楽器店でカートリッチを眺めていて、リサイクルショップに行けば格安で手に入るじゃないかと思い立って買うのを止めた。

 そして今日、なじみのリサイクルショップに行って、ソニーのくたびれた針をシェルごと格安で手に入れた。それで十分だった。僕はスクラッチもしないし、特別きれいな音を求めているわけでもない。

 僕は新しいものを買うとものすごくテンションが上がってしまい、すべての作業がスピードにして3割増しになるようなところがあるので、今日も大急ぎで部屋に戻って、大急ぎでシェルを交換して、大急ぎでレコードを聴いてみた。
 もちろん、それはきれいに鳴った。試しに僕はハウスを聞き、フレンチポップを聞き、Jポップを聞き、ベートーベンを聞いた。

 レコードを聴くときにいつも思うのだけど、あんな風に針でレコードの溝をなぞるだけでスピーカーから音楽が流れ出てくることに驚愕せざるを得ない。
 原理はとても簡単に理解できるけれど、やっぱり驚く。
 僕たちが聞いているのは、つまるところあの一本の針の振動なのだ。それがどうしてこんなに豊かな音楽になるのだろうか?

 オーディオ装置から出てくる音楽は、すなわち、一枚のスピーカーに張られた紙の振動であり、空気の振動であり、最終的には鼓膜の振動である。
 鼓膜と言うものを僕たち人間は左右の耳に一枚ずつ、計2枚持っている。
 ここで、右の耳だけで聞くことを考えると、それでも僕たちは音楽を豊かに聞くことができる。

 右の耳だけで聞いても、ちゃんとボーカルもドラムもギターもキーボードも聞こえる。
 震えているのはただの一枚の鼓膜なのに、そこから感じ取る音にたくさんの要素を感じることができる。
 これは僕たちの耳がフーリエ解析という、音を周波数成分ごとに分解するテクニックを用いているからで、解析しない音というものはなんだかよく分からない一つの振動にすぎない。

 言うまでもなく、僕たちの住む世界にはたくさんの音源が存在し、たくさんの音が溢れている。
 でも、僕らが持っているそれらの感知器官というのは、たった2枚の鼓膜であり、そのたった2枚の膜の振動から、僕らの耳と脳は豊かな音世界を再現している。

 目だって同じことが言える。
 世界は3次元だ、と簡単に言うけれど、僕らの網膜は2次元でしか視界を形成できない。網膜という膜に一度投影するのだから、そこで外が3次元であろうがなかろうが一旦2次元に変換されるのは当然のことだ。
 そして、その2次元を読み解いて、僕たちの脳は再び豊かな世界を形成する。

 なんだかだまされているように思うのは僕だけだろうか。