真剣なエアーコンディショニング。

 友人であるjimmy-mammyのブログに「新書」のことが書かれてた。彼女曰く「どうでもいい知識」の宝庫、だから大好きだ、ということで、僕もこれには諸手を挙げてでも賛同したい。

 新書というのは、美術館に似ていると思う。
 僕は美術館に行くといつもほっとして帰ってくる。
 それはなぜかというと、美術館にはすごい作品の他に「なにこれ?」というような作品があるからで、そういうものを見たときに僕は安心する。

 この安心感がどこからやってくるものなのか考えると、その根源は社会のもつ豊かさ、もしくはキャパシティを「いかにもどうってことのない」美術作品が象徴しているからではないかと思う。

 人の創作活動が「自由」である、というのは21世紀にもなれば常識的だけど、僕たちは美術館にいって「こんなにしょうもないものにでも美術館という社会的にきちんとした場所が与えられているのだ」という事実を確認することができる。

 つまり、作品や、創作活動自体の「自由」のほかに、僕たちは美術館で社会の持つ「自由」に対する態度を感知することができる。それは社会の自由に対するコンセンサスであり、作品という「自由宣言」にたいする承認なのだ。
 美術館のある国に生まれて本当に良かったと思う。

 新書においても同じことが言える。
 コストとリスクをとってまで、出版社は面白いけどなんだこれはというような本を販売する。
 そして僕はそれらの本からたくさんのことを学んだ。
 新書のある国に生まれて本当に良かったと思う。