海洋生物学者。

 JR福知山線脱線事故が起きてから一ヶ月が経つと、昨日のニュースで言っていた。

 事故が起きた日、珍しく母親からメールが来て、そこには「まさかとは思うけれど電車に乗っていたんじゃないかと気になるから連絡しなさい」と書いてあった。
 もちろん、僕はすぐに「無事です」と返事をした。

 次に来たメールはオーストラリアから届いたものだった。
 ずっと昔にナイトクラブで知り合ったオーストラリア人の女の子からのメールで、「ちゃんと生きてるか心配だから連絡して」と書いてあった。
 僕はすぐに「無事だし、まったく心配ない」と返事を書いた。

 彼女は、オーストラリア人の怠惰さと、服装に関するセンスの悪さに辟易しているオーストラリア人で、メールには「京都に帰りたい、まるで家のように思う」と書いてあった。
 それに関して、僕は「気持ちは分からないでもないけれど、でも僕としてはゴールドコーストに住むほうがずっと素敵なことのように思える」と返事をした。それに、君は京都に戻りたいと言うわりにはほとんど一言も日本語が話せないし、戻ってくるなら日本語の勉強も少しはしたほうがいいんじゃないか、ということを書きたかったけれど、今のボーイフレンドと仕事に嫌気が差していて不愉快な生活だということが書いてあったので何も言わないことにした。

 年齢を重ねるにつれて、ニュースに関する感受性がどんどんと上がっているように感じる。
 誰かが死んで失われたり、誰かが傷つけられて泣くということがどんなに悲しいことなのか、そういうことがとてもリアルに感じられるようになり、ニュースの記事を読むだけで吐き気すら感じることがある。
 だから、本当はニュースなんて何も見たくはない。
 でも、日本で事故が起こればオーストラリアにいてもニュースになる。