メアリー、ジェット族になる。

 お金持ちになることに決めた。
 誰だって漠然と「お金持ちになりたいなあ」とは思うだろうし、僕だってぼんやりとそう思っていたけれど、その為には具体的に何をすれば良いのかよく分からなかった。会社を作ろうといつも友達と話しているけれど、なかなか具体的なアイデアは浮かばないし、ちょっとした商売すら元手の不足で二の足を踏んでいた。

 そんななか「金持ち父さん、貧乏父さん」という2000年に日本語訳が発売された日系アメリカ人ロバート・キヨサキ(なんだかうさんくさい名前だと言えなくもない)が書いた本を読んでみるとなかなか面白かった。
 この金持ち父さんはシリーズ化されていて、トータルで全世界2000万部以上の売り上げということだったが、世界63億人のうち、今既に存在している多くの金持ちに加えて、さらに2000万人も金持ちが発生してはその皺寄せはどこに行くだろうと余計な心配をした。
 でも、経済というのはゼロサムなのだ。誰かがお金持ちになれば誰かが貧乏になる。

 「金持ち父さん」に書かれていたことの中で一番印象的だったのが、「資産を作りなさい」という話で、普通人はお金を稼いでそれを使うけれど、「稼ぐ」→「使う」→「稼ぐ」→「使う」・・・・、というループにはまっていてはいつまで経ってもお金持ちにはなれないし、お金持ちになりたい人は若いうちから株や不動産などの資産を作りましょう、欲しいものは稼いだお金自体ではなく資産運用からの利益で買うようにしましょう、というアイデアだった。

 これは至ってノーマルだけどあまり人々がやらないことだ。

 僕たちは経済社会にどっぷりと、それこそ揺り篭から墓場まで、浸かって生きているのにお金に関する教育を全く受けていない。受けていないというのは間違いかもしれないけれど、少なくとも大抵はたったひとつの考え方しか教わらない。

 「一生懸命働きましょう」

 でも、これはどう考えたって僕たちの思考をドライブするような方法論になっていない。なんとなくお茶を濁して、結局のところは「一生懸命に働いてくれる労働者」を育成する為の思想だとも言えなくはない。もともと教育というのは国家のそういった思いからはじまっている。そしてお金自体に関しては何も教えない。
 あと、僕たちは何を習っただろうか?
 せいぜい「税金はみんなの役に立つものだからちゃんと払いましょうね」くらいのものじゃないだろうか。

 くどうようだけど、僕たちは生れたときからお金の社会に生きている。
 誰だって食べ物はスーパーマーケットやレストランでお金と引き換えに手に入れるし、そこらへんを飛んでいるハトを捕まえて食べたり野草を摘んだりしない(すくなくとも日常的には。たしかに自給自足の農家だっているけれど)。食べ物というのは生命に直結しているものだし、お金はほとんど命に等しいのだ、とだって言える。なのに僕たちは「一生懸命に働く」ということ意外になんのお金に関する教育も受けていない訳です。

 ここで僕は教育の非を叫びたい訳ではなくて、自分が今までいかに大事なサバイバルの要素を見落としていたのか、ということを実感した、ということを反省を込めて書きました。
 なんとなく、お金のことを学んだり、話したりするのは気がひけてしまう。
 でも、しばらく経済のことを勉強してみようと思います。エコノミーという言葉はギリシャ語の「よく生きる」という意味の言葉「オイコノミクス」から来ているそうです。つまり最初は、みんなでよく生きるにはどうすればよいのか、ということを考える学問だった。
 グローバリゼーションで規模が広がった経済活動のせいで、富める国が「得る」ことの皺寄せは弱い国に「失う」という形でもたらされ、その中では病院すら消えてしまう。僕はお金持ちになりたいし、もちろんその為にも勉強したいけれど、でももしも僕がお金を稼いでどこかで誰かが困るようなことがあるのなら、そのことも考えなくてはならない。とにかく、これ以上無知なままでいるのは嫌だと思う。