シマシマ、シグナル。

 昨日、テレビでなんとかという番組を見た。
 その中でドイツのある街に設置された信号機の話が出てきて、その街では歩行者用信号機の人の模様を「男」から「女」の人に変えたところ、人々の信号に対する注意が深まり事故の数も減ったという。
 もともとは何も事故の数を減らす信号機を作ろうとしたわけではなく、単に信号機のメーカーが「世界中なぜか信号機の模様は男の絵ばっかりだから、ここはひとつ女の子の模様で作ってみよう」と考えただけのことで、それが事故件数を減らすことに貢献したに留まらず、今では人気が出てマグカップやTシャツといったグッズまでが売られている。

 世界中の信号機の模様が「男」であることを知ったらリブの人達は怒るかもしれないな、なんて考えたりもしたけれど、今は文化的なことではなくて単に偶然が起きました、ということを記録的な日記として書こうと思う。

 今日、僕はカメラのパーツを買いに河原町のカメラ屋に行ったのですが、ついでに丸善によって照明器具のデザインばかりを集めた本をぱらっと開いてみると、その開いたページには手を開いて「止まれ」をしている女の子の照明が載っていた。

 この女の子の模様こそ、昨日のテレビで流れていた信号機の女の子だった。
 偶然が起こると、どうしても意味を勘ぐってしまう。

 昨日見た、そのテレビの中では北海道のとある道路に刻まれた溝の話も取り上げられていた。
 その道路にはうまい具合に溝が刻まれていて、自動車がそこを通過するとなんとかという歌のメロディーがなるのだ。
 僕は降参してしまった。
 毎日道路も車も見ているのに、僕は道に計算した溝を刻んでやれば車でメロディを流せるなんて考えたこともなかった。

 むろん、街中では単に迷惑な騒音になるだけだけど、北海道ではその道路の周囲は何もなくて、居眠り防止のための装置になっている。

 それで、こっちのほうは特に偶然というわけではないですが、丸善でバーコードを色々な形にアレンジしてみる、という趣旨の本が置いてあって、これにも僕は降参せざるを得なかった。

 普通のバーコードでは面白くないので、とにかくあの縦線の列を拡張してデザインするというもので、まあバーコードが鯨の口になっていたりする。
 従来のパッケージデザインの限界は、一定の規格を満たすために、例えばリサイクルマークを載せたり、バーコードを載せたりと、もう既に形の決められているものを製品のどこかに置かなくてはならないという点にもある。
 これは別にパッケージに限らず、自動車のデザインなどにおいても、ウィンカーを付けるだとか制限はある。でも、パッケージではそのままリサイクルのマーク(プラスチックのプラというのを矢印で囲んだやつとか)をつけているのに対して、自動車ではウィンカーの形はある程度いじることができる。
 このバーコードをいじるというのはまさに自動車のウィンカーの形をいじるということに同じだと考えることができる。

 毎日のようにバーコードのお世話になっているのに、どうしてこれくらいのことを考え付かなかったんだろう。

 とにかく、僕は昨日今日と信号機とシマシマにしきりに感心しているわけです。
 これはもう横断歩道を渡るしかない。
 アビーロード風に歩いてみようと思う。