クエッション。

 靖国神社染井吉野が開いた。
 まだ寒いけれど、春というのはこうして静かにやってくる。

 村上春樹さんというのは、僕にとって特異的な作家である。

 どう特異的なのかというと、それは僕は村上春樹さんの作品に限って、結構たくさんの小説やエッセイを読んだのにも関わらず、どの本を最初に読んだのか覚えているのです。
 他にも好きな(あるいは好きだった)作家は何人もいるし、彼ら彼女らの作品だってたくさん読んだわけですが、どうしてか誰についても「最初にその人の何という本を読んだのか」ということを考えてみると正確に思い出す事がとても困難なのに、村上春樹さんに限っては「テレビピープル」を最初に読んだと、いとも簡単に断言できるのです。

 それはもしかしたら初めて「テレビピープル」を読んだとき、あまりに面白くなくて途中でやめてしまったせいかもしれない。
 僕は「どうしてこんな小説を買ったのだろうか」と後悔すらした。
 当時の僕にとっては、それはあまりにシュールで、そしてあまりにもモヤモヤとしていた。

 今から思えば恐ろしい事に、それから何年もの間、僕は「村上春樹は好きではない」と語っていた。
 もちろん、今は大好きな作家です。

 そして、僕は好んで村上春樹作品を読む訳ですが、自分の中にどういった感情や、あるいは影響が生起されるのかほとんど意識する事ができません。主人公に惹かれて、その人の何かを真似るようになるだとか、矢鱈と積極的な人が出て来て僕も急に張り切りだすとか、そういったことがあまり起こらないのです。
 僕はただ村上作品を通過し、そして「何か(N)」から「何か(N')」に変化するのだと思う。

 夜に部屋の中からコインランドリーで洗濯をしている友達に電話を掛けると、彼女はしきりに「寒い寒い」と言っていた。
 電話を切った後で、僕も外に出たのだけれど、本当に外はとても寒かったので久し振りにマフラーを巻いた。まるで冬に戻ったような少しだけ懐かしい気分になった。

 最近友達になった友達と御飯を食べたりお酒を飲んだりしていると、昔僕が入り浸っていたお店の話になり、「客なんだけど、たまにまるで店員のように働いてた」というと「あそこのお店でしょ。2、3年前? 私、なんか君を見た事あるような気がする」と言われた。それはどうやら本当に僕のことだった。70年っぽい格好をしていたし、まさしくそのお店だし、僕は本当によくそこにいたから。
 そして音楽の話をしていると、僕が第一回目のスタッフをしていたイベントの第何回目かのスタッフを彼女はしていて、京都というのはやっぱり狭いのだ、と良く言われる結論を導くことに成功した。