青が好きないとこ。

 とてもお腹が空いていて、いい加減何かを食べなきゃならないと思いながら内田先生のブログを読んでいたら、こんな下りがあって頭を殴られた思いがした。

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キャリアパス的思考のピットフォールというのはここだと思います。
18歳や20歳のときの幼い想像力が描いた「アチーブメント」とか「サクセス」の呪縛に未来をまるごと投じることのリスクを過小評価してしまうこと。
これに尽きると思います。
それは自分の未来の未知性、「自分がこの先どんな人間になるのかを今の自分は言うことができない」という目のくらむような可能性を捨て値で売り払うということに等しいのです。
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 ただでさえお腹が空いてフラフラとしていたのに、加えて頭をガツンとやられたのでクラクラとした。
 僕は小学生の頃から漠然と科学者になりたいと思っていました。でも、どうやら勉強が好きだという性格ではないし、今のところは理系失格といってもいいような有り様です。だいたい高校生の頃からこっち方面は向いてないのではないかと散々に悩んだし、他にこれなら熱中できると思う事やなんかもいくらか見付けた訳ですが、でも僕の中に存在している、もっとも基本的な価値判断の基準が「科学者」に設定されていて、どうにもそこから抜け出す事ができそうにないのです。

 そうして、多くの時間を不毛なことにつぎ込んでいるのかもしれない。

 こういった心配を常に抱え込んでいて、もしたしたら手にすることのできた他の可能性を、僕だって26年も生きていればそれなりに想像したりするわけですが、こうして文面で「自分の可能性を捨て値で売り払う」と書かれるとどきどきしてしまいます。

 かつて真島昌利は「あきらめきれぬことがあるならば、あきらめきれぬとあきらめる」と歌を綴りました(もともとは江戸時代の歌かなんかだそうです)。
 僕は、その教えに従いどうにかこうにか遅々とした歩みを続けている訳ですが、もしかしたら袋小路に向かって歩いているだけなのかもしれない。
 でも、まあ、袋小路に向かっていようが太平洋に向かっていようが、僕は生きている訳で、何もその期間死んでいる訳ではないので、それはそれで大した問題でもないような気もします。

 今日は少しだけ掃除をしました。