万国博覧会。

 何気なく耳にした一言が、全然重要なことに見えないのに、何故か絶対に忘れられなくて、あるシチュエーションになると必ず頭の中に蘇る、ということが結構あります。

 これは、僕が昔書いた小説の中にも使ったネタなのですが、高校のとき化学の先生が

 「人間は大きく分類すると、”入れることに満足を覚えるタイプ”、”出すことに満足を覚えるタイプ”の二つに分けられると思う。つまり、食べるか、出すか、とういうことだ。私は”出す”方だ。」

 というような話をしていたのを、僕はそれ以来何年もトイレに入るたびに思い出してしまう。

 他にも色々と、こういったフラッシュバックは起こって。それまでなんとも思っていなかった人を誰かが「かわいい」と言っているのを通りすがりに聞いて、それからその人を見るたびに「かわいい」という言葉が脳裏に発生して、なんだかその人のことが段々と好きになってしまったり、パソコンのマウスを使うことが躊躇われたり、ストローに水を吸い上げてみたり、僕達は日々そこらじゅうから耳に入る言葉と何かを関連つけて、時に縛られたり、プロモートされたりして生きているわけです。

 こういうのを多分、言霊と呼んでも、呪いと呼んでも構わないと思う。多分、呪いだというほうがより正確ではないかと思うけれど。もちろんいい呪いだってあります。「君はにんじんが好きになる」とか。

 呪いと言えば、僕は占いというのも呪いの一つだと思う。
 占いというのは未来を見通すものではなくて、誰かの未来を宣言することによって、彼や彼女達に知らず知らず「そうする」ように仕向ける力を植えつけることだ。
 だから、本当はもの凄く責任のある仕事だと思うのです。

 昔の友達が、彼とはもう連絡すらとれないのですが、特に強調したわけでもなく、さらりといったことのなかで、二つだけどうしても忘れられないことがあります。

 「大橋マキって感じいいね」
 「髭剃りジェルをつけるときは水使わないほうがいいような気がする」

 この2つです。
 きっと彼はもっと重要なこともたくさん言ったに違いないのですが、僕はなぜかこの2つしか良く思い出すことができません。

 それで、何年も経ってから僕はブログを作るにあたって、ヤフーで”ブログ”と検索をかけたのですが、そうすると”著名人のブログ”というカテゴリーが出てきて、その中に大橋マキblogというのがあって、それをみるとすぐにその友達のことを思い出して、それで(アナウンサーだということ以外)どんな人なのか知らないけれど彼女のブログを読んでみると、今はアナウンサーじゃないそうで、でも色々なところを取材したりして暮らしている様子で、興味をもっていたものを実際に彼女が取材していることが多いのでときどき覗くことにしています。

 随分、前置きが長くなった。

 今日、大橋さんのブログを見ると「愛知万博を取材した」とありました。
 僕は全然詳しくはないですが、万博ファンで、実は愛知万博が楽しみで仕方ありません。
 テーマがなんとなく愛、とか環境とか「良い子と青少年のためのイベント」みたいに見えるのであまり受けがよくないのか、周囲の人々にいっても全然明るい反応が返ってこないのですが、僕は本当に万博が楽しみです。

 ジャーナリズムの人達はいいな、と思いながら彼女のレポートを読んでいたら、ますます万博に行きたくなりました。

 僕が生まれる前の話で、もう絶対に1970年の大阪万博にはいけないけれど、この2005年の愛知万博はもうそこなわけです。何十年に一度のことだから、もっと盛り上がればいいなと思う。何十年に一度というだけで、もう中身がどうであれ盛り上がればいいと思う。
 昔テレビでみた、どこかの県のお祭りは「72年に一度だった」だいたい一生に一度の祭りだということになる。前にどういう風に祭りを行ったのかは老人達が「うっすらと覚えているだけ」なわけです。そして、自分が大体二十歳もすぎていれば、「僕はもう一生この祭りをみないのだ」と永遠を感じながら祭りを体験するわけです。
 番組を見たときすごく感動しました。

 人生において「ハレ」と「ケ」をどれくらいの配合にするのかはとても重要なことだと思う。

 それから芥川賞とかアカデミー賞とかカンヌとか、毎年はやりすぎじゃないかなとも思う。
 4年に一回くらいでいいんじゃないだろうか。毎年そんなにすごいものができるとは思えない。