アミーゴ書店の軽快な午後。

 最近、堀江社長がやけに気になります。といっていたら劇団HANAFUBUKI藤堂さんも「最近堀江社長が気になる」とブログに書いていた。前にも同じようなことがあったような気がする。

 なんとなく、堀江社長を見ていると、僕らはみんなお互いに目隠しをし合っていて、しかも、お互いに「道は曲がりくねってるし、しかも凸凹だし、気をつけて、歩くのは大変だよ」と言い合っていて、そんな中彼だけは目隠しをしていなくて、さらに道が本当は真っ直ぐなのを知っているように見える。

 価値観や、あるいは競争社会よりも分化のない社会を好むとか、そういったことは色々ありますが、僕は少なくとも彼のやり方から見習うべきことを沢山発見しました。これからももっと活躍して頂きたいと思う。

 それで僕は今日も堀江社長社長日記を読んでいたのですが、なんとなくとても引っ掛かることが書いてありました。

 それは去年大流行した「冬のソナタ」という韓国のドラマに関することなのですが、引用させて頂くと


 「・・・番組制作面でのネットと放送の融合という面では韓国がブロードバンド先進国としてかなり先走ってやっている。たとえば先日韓国のKBSのプロデューサー氏から聞いた話だが、冬ソナだって、視聴者からのメールなどでの要望で、途中で脚本を変更したりするそうだ。つまり視聴者が見たいものをオンデマンドで作っている感じなのだ。韓流ブームってのは、たんなるブームではなく、ネットがある意味良質なドラマ作りに寄与している結果なのかもしれない。・・・」

 僕には、これがいいことなのかどうか良くわからないのです。
 分からないと言うか、なんだかとても不気味な感じがする。

 冬のソナタというドラマを僕は見たことがないけれど、元々のライターが仕上げた脚本が視聴者の意見で変わるというのはどうにも腑に落ちない。

 例えば、本を読んでいて、とても好きなキャラクターが死にそうになったとき、「どうかこの人には死なないで欲しい」と思ったら実際にストーリーが変化してその人は死ななくなって病気から回復したりするわけです。
 これって小説ですか?

 新しい形態の小説なのだよ、君は古い、と言われればそれまでだけど、でも、僕は多分古い小説しか読まないだろうな、と思う。ストーリーを自分の妄想でドライブしたくない。

 もちろん、僕は何も否定しているわけではなくて、単に奇妙な感じがするといっているだけです。僕は、宮藤官九郎が書いた脚本の方が僕の妄想よりも好きだと思うし、村上春樹が書いたストーリーの方が自分の妄想よりも好きだと思う。それだけのことです。

 大勢の人の妄想で出来上がったストーリーを、大勢の人が観る、というのは人類史上未だかつてない自慰行為じゃないかと思う。
 文学まで民主主義の始まりだろうか。

広告を非表示にする