チョコレートマニアの憂鬱。

 久方の光のどけき春の日にしず心無く花のちるらむ。

 まだとても寒いのに何故か最近頭を離れない。

 VJという存在がいつ頃からのものなのか知らないけれど、今や大概のクラブイベントにはDJとVJがいて、欲張りなことにDJが一人でVJを兼ねる為のDVJなる器材まで売られています。

 昔、とある友達と「何か新しいことしたい。DJ、VJって要は聴覚と視覚はもう大体ある訳で、次って何が来るかな? 後は人間の感覚としては味覚と嗅覚と触覚が残ってるけど」という話をしたことがあります。味覚は、まあ食事のできる所も多いので、これも既に存在しているものとすれば残るは嗅覚と触覚ということになります。

「触覚はちょっと何していいのか良く分からないけれど、嗅覚の方はお香とか使えばなんとかなるんじゃない、アロマジョッキーとか言って、えっとAJ」

「AJ、なんかぱっとしないな。うーん。ぱっとしない。それにみんな煙草も吸うし、匂いなんかよっぽど強くしないと分からないんじゃないの、そしたら煙とかすごくてやばいことになるんじゃない」

「そっか、駄目だな」

 なんて言っていたのですが、大橋マキさんのブログによるとアロマ用の立派な機械が存在していて、それからアロマジョッキーとは言わないみたいですが、そういったパブリックなスペースにおいて香りをコントロールすることは結構普及してきている様子です。それで悔しい事に大抵のことは進んでいるアメリカ合衆国においてはもう随分前からメジャーだということです。

 匂いと言うのは人間にとって生命線である呼吸にダイレクトに影響するので、それを上手くコントロールすることは相当に難しいのではないかと思います(匂いが気に入らないからといってずっと息を止めているわけにはいかない)。雑貨屋かどこかでお香を買って来て、うきうきしながら火を付けたけれどなんだか臭くてすぐに火を消したという経験は随分多くの人が持っているのではないかと思う。

 もちろん、すでにお店ではアロマを利用するところも多いですが、それは言わば音楽で言えばBGMのようなものです。でも、AJのアロマはそんな半端なものではありません。人の気持ちをコントロールしようとする企みを含みます。音楽と映像と連動して、例えば音楽が最高潮に達してBPMはカウンターの限界を突破し、映像はもうグラングラン、照明ビリビリ、スピーカーは飛んで、フロアは不確定性原理を打ち破って世界の裏側に突き抜けようという時にとても強いシトラス系の香りを放つ、というのもそんなに悪くはないんじゃないかと思うのですが。

 うーん。AJ。どうかな。

 言葉が出たついでに書くと、僕らが立っている床が壊れない事は実は古典的なニュートン力学では説明できません。どうしてかというと、たぶん多くの中学生や高校生は「原子と言うものは原子核の周りを電子が回っていて、原子核がプラスで電子はマイナスだから引き合って、その引き合う力が電子の遠心力と釣り合っているから原子は壊れないで存在することができる」と習うと思うのですが。これっておかしいと思いませんか。僕は長年疑問に思っていて、大学生になってようやく謎が解けたのですが、
普通、釣り合っているものに力を加えたらバランスが崩れて壊れる筈です。僕らが今床の上に立っているとすると床を構成する原子には僕らの体重が掛かるわけです。そしたら単にバランスが取れているだけの原子なんて壊れてしまうんじゃないか?

 この問いはもっともなもので、ニュートン力学に基づいて考える限りでは原子は壊れてしまいます。
 そこで登場するのが量子力学で、なんと「物体の運動量と位置を同時に正確に決める事はできない」というちょっと滅茶苦茶な理論が鮮やかに僕らが床の上に立っていられる理由を説明してくれます。

 これは式にすると (運動量の曖昧さ)×(位置の曖昧さ)≒ h

 と書く事ができます。hというのはプランク定数と呼ばれるとても小さな定数で、どれくらい小さいかというと0.000000000000000000000000000000000663です(ばーっとやったので一桁か二桁違うかもしれませんが、それくらい気にならないくらい小さい)。

 僕らが床の上に乗って原子を圧迫すると、ギューっとなるので(位置の曖昧さ)が少し減ります。そうすると全体の値を保つには(運動量の曖昧さ)が大きくなる必要があります。これはまあ電子の動こうとする力が増えるようなもので、その力で僕らの足は押し戻される訳です。

 ニュートン力学はとても日常的で人間の感覚に近いけれど(押したら動くとか)、でも実は僕らが床に立っている状態すら説明できないわけです(でもアポロはニュートン力学で月に行きました)。世界と言うのは色々やっかいにできているんだなと思った。

大橋マキBlog