スケール

 本屋をウロウロしていると、ポリアという多分昔の数学者の書いた「いかにして問題を解くか」という本が平積みになっていて、その隣の隣に、「いかにして問題を解くか」をざっとまとめましたみたいな本があった。その本は僕が20歳くらいのときにたまに読んでいたサイエンスライターの人が書いていて、懐かしいなと思って手に取った。タイトルは「数学x思考=ざっくりと」というものだった。「物事を”数学的に”考えるというのはざくっとした数字や桁数などをさっと見積もることです」というようなことが書かれていて、一時期流行ったフェルミ推定なんかにうっすら触れてから、物理に親しんだ人間は次元解析とスケーリングをして物事を考えていますという話になった。
 例として「カブトムシが体重の何十倍もの重さの物を運べるからといって、人間だったら体重の何十倍ということは何トンとかの物を運ぶことに相当する。すごい」というのは非科学的だと挙がっていた。
 
 びっくりしたのは、次元解析にF=ma(力=質量x加速度)を持ち出して、加速度の次元は「長さ/(時間の二乗)」だから時間がファクターに入っている。時間は体内時計を考慮して云々と続いたことだ。
 体内時計というか「時間の感じ方」が生き物の身体の大きさに関係しているかもしれないという話は、何十年も前に「ゾウの時間、ネズミの時間」が有名にしたけれど、なんというかこれは半分は科学の域を超えている話だし、そもそもある物体の運動を考えているときに「体内時計」は全く関係ない。この”体内時計”は「ここからここまで物を運ぶのにたったの10秒しか掛かっていないけれど、この小さな昆虫は人間と時間の感じ方が違うからこれで10時間掛かったくらいに感じているかもしれない」という程度の話でしかない。基本的には小さな生き物の方が単位時間を長く感じるだろうと言われていて、たとえば1秒に30コマ映るテレビを人間は動画だと思っているけれど、昆虫が見ればコマ送りに見えているだろう、というような研究が行われている。
 これは”感覚”の話で、力学系を考える時には何の関係もない。力学的な系を流れる時間は人間でもカブトムシでも同じだし、動かすのに要した時間に言及しているわけでもない。
 非科学的というのであれば、この体内時計を考慮したスケーリングというものも非科学的だ。
 
 このスケーリングがおかしいのはモデルがあまりにも漠然としているからで、昆虫が物を運ぶという言葉だけしかなくて具体的なことが考慮されていない。 
 次元解析するなら、生き物の力は筋肉の断面積に比例すると仮定して、筋力は「長さの二乗」の次元と比例関係にあり、物の重さは体積に比例するから「長さの三乗」で効いているのだという話になる。
 身長が2分の1になれば、筋力はその2乗の4分の1になり、体重はその3乗だから8分の1になる。
 身長が10分の1になれば、筋力はその2乗の100分の1になり、体重はその3乗だから1000分の1になる。
 身長が小さくなると筋力は二乗でしか小さくならないのに、体重の方は3乗で急激に減少する。
 だから、人間のサイズを基準にすると、身長が10分の1のネズミあたりの生き物は、体重が人間の1000分の1しかないのに、出せる力が人間の100分の1もあるように見える。身長が100分の1のムシとかなら、体重は百万分の1になるのに、力は1万分の1もあるということになる。
 運ばれる荷物の方だって重さは体積に比例するから、一辺が小さくなればその3乗で軽くなる。
 小さければ小さいほど見かけ上すごく見えるけれど、スケーリングすれば別になんでもないというのはこういうことで、だからアリが羽を運んでいても、ノミが身長の百倍飛び上がっても驚くことではない、という話だ。
 
 つまり"長さ=身長、荷物の一辺"というものを媒介変数として、「筋肉断面積:"長さ"の2乗の次元のもの」と「荷物の重さ:"長さ"の3乗の次元のもの」の挙動を比較している。
 どこに働く力なのか考えずに漠然とF=maを持ち出して、力の次元には時間も入っていると言っても何もならない。

 実はこの記事を書く前に、さっとこの辺りは既に誰かが指摘しているだろうと思って、この本のことを検索してみたら、批判は見つからなくて、それどころか「理系エキスパートを育てる」みたいな学習塾の先生が感銘を受けたりしていたので、これを書くことにした。
 ざっくりと、というのはディテールをイメージできないと成立しない。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

Ruby:p

 もしも今プログラミング言語を1つ学ぶならPythonがいいなと思っているのだけど、ちょっと理由があってRubyの勉強を始めた。
 僕のプログラミング経験は非常に限られていて、今までに触れた言語はCとFortranのみだ。それもCは大学に入った頃、20年近く前に少しやっただけで、大学院時代に使っていたFortranも数値計算の為にルンゲクッタ法で積分したりとか、数値計算の為のプログラムしか書いていない。さらに言うとFortranは77を使っていたのでコードを書く時に左から6つスペースを開けるという化石みたいなことをしていた。
 最近もArduinoを少し触ったりはしたけれど、拾ったコードを改造したくらいで大したことはしていないので別に何かを学んだりはしなかった。
 だから、プログラミングというものに向き合おうと思ったのはものすごく久しぶりで、オーバーな表現をすると今回のRubyでプログラミングの進化を20年分一気に味わった気がする。変なことを言っているのは分かっていて、Rubyはそれこそ僕が大学に入るより前の1995年に発表されているから新しい言語でもなんでもない。はじめて取り組むオブジェクト指向に圧倒されているだけなのかもしれない。なんだか良くわからないのだけど、Rubyが便利で驚いている。
 
 僕が大学に入学にしたのは1998年で、大学へ入ると同時に生まれて初めてのPCを買ってもらった。OSはWindows95でCPUはペンティアム1だったと思う。メモリは頭に浮かぶ数字がそんなわけないだろというくらいに低いもので32メガだった気がする。そんなわけ無いですよね?そんなだったのだろうか。大学の情報センターに並んでいる端末は全部UNIXだったし、ブラウザはネットスケープだった。今から思えば信じられない話だけど、ネットをするために「席が空いてるかな」と情報センターに入って行って、運良く空いていればログインして稚拙なサイトを眺めていた。グーグルなんてまだ存在していなくて、Yahooを「ヤッホー」と読むのだと信じている人がそれなりの数いた。
 入学したのは電子情報工学科だった。
 電子情報工学は今でこそアートやデザインと一緒になったりして、それなりに華やかだけど、僕が入学した当時はほとんど全員が男で、それもオシャレとはあまり縁のなさそうな学生ばかりだった。デザイン系の学科にいた女の子の友達に「電子情報ってオタクみたいな人と、せいぜい頑張ってもホストみたいな人しかいないね」と鼻で笑われていた。
 プログラミングの授業は当時それなりに活躍していた情報理論の教授が受け持っていて「パソコンの使い方とかそんなことはここでは教えないから、君らそれは勝手になんとかして、ここ大学だから、パソコンの使い方みたいな低レベルなことは町のパソコン教室でも行ってやってきて」というような感じでCを教わった。当時はまだキーボードすら満足に打てなくて、大学院生のTAが助けてくれるときにカタカタカタっとキーを叩くのがカッコよく見えた。そんな時代だった。誰か友達の部屋に集まってプログラミングの課題をやっていたとしても、全員のラップトップがオフラインだった。ネットはまだ遠かった。大学の図書館など数カ所にある情報コンセントと呼ばれていたソケットにLANケーブルを繋いでようやくネットが可能だった。どこか外でどうしてもネットに繋ぎたいときは公衆電話からプロバイダに電話を掛けて接続していた。まだホリエモンが買う前だと思うけれど、ライブドアは広告が出るのを気にしなければ無料でアクセスできるプロバイダで便利だった。
 思い出しついでに書くと、入学試験前、僕はどこの大学へ行くかを結構慎重に調べていて、大学のシラバスを貰ったりネットカフェで大学のサイトを覗いたりしていた。大学へ入る前のことなのでパソコンを触ったこともネットを触ったこともなかったはずで、ネットなしにどうやってネットカフェを見つけたのかは分からない(たしか京都西院のツタヤの隣にあった)。知らない人は絶対にものすごく驚愕すると思うけれど、当時のネットカフェには大きな電話帳みたいなものが何冊も置いてあった。その電話帳には電話番号の代わりにURLが載っている。もしも京都大学のサイトを見たいと思ったら、その電話帳みたいな本を引っ張り出してきて、「あいうえお、かき」>「きょうとだいがく」という感じで紙をめくって辞書を引くようにURLを探し出し、それをブラウザに打ち込むというわけだ。先程も書いたようにグーグルなんてまだなかった。グーグルが創業したのは1998年の夏、つまり僕が大学1年だった夏だ。Yahooはあったけれど、検索というよりはツリーを辿ってカテゴリから何かを見つけるという色合いが強かったのではないかと思うし、そもそも登録されているサイトが少なかった。
 
 さて90年代の終わりから2016年に話を戻そう。
 誰の手にもスマートフォンがあって、LTEがいつも繋がっていて、そこらじゅうをWi-Fiが飛んでいて、グーグルはバリバリと何でも探し出してくれる。これはもちろんとてつもない進化だ。
 ところが、さっき進化を味わっている気がするとかいたプログラミングだけど、コードを書くということに関してはどれくらいの進化があったのだろうか。
 コードを書くことには、思考を記号として並べるような心地よさと、キーボードからあらゆるものを生み出すような心地良さがある。だけど、やっていることはとても古臭い。たとえばウェブプログラミングはもう「こういう構成で、ここのウィンドウにはユーザの検索結果が出る」みたいな感じで、画像と、普通の日本語や英語でできても良いはずだ。実際にそれに近いサービスは存在するけれど、まだ全然普及していない。
 これはとても古臭いと思うし、10年後のウェブサービス構築者がコードをカリカリと書いているとは思えない。分野によってはコードを書くことが残るだろうけれど、多くの「一般的な」ジャンルではコードを書くことはなくなって、ビジュアルと自然言語での構築が普通になるはずだ。プログラミング言語は、今の僕達にとってのマシン語みたいな扱いになって、存在はエンジニアの教養として知っておく必要があるものの、実務では使われないものになる。
 
 だから、学ぶことを勿論全然否定しないけれど、プログラミングに関しては今の一部のSTEM教育の読みは外れると思う。一部のというのは具体的には、プログラミングを子供にやらせておけば将来稼げるだろうという目論見のことだ。コードを書くという行為は「ネジを締める」みたいな作業と同じものになる。
 プログラミングを知っていることは、知らないことよりは良いけれど、それがクリティカルな問題になるかというとそうではない。料理のことも知らないよりは知っている方がいいし、古式泳法も知らないよりは知っている方がいいし、というのと同じようなことになると思う。好きならすればいいけれど、そうでなければやっても仕方ないということだ。
 
 プログラマにならなくても論理的に考える力が養われる云々は、数学が思考力を養う云々に似ていてきな臭い。
 宿題の内容は役に立たなくても、宿題を我慢してやることで忍耐が身に付くみたいな詭弁だ。
 流行っているデザインシンキングとか、考え方の方法論には色々なものがあって、考えるということを考えることはきっと大事なことだとは思うけれど、何かのメソッドにしたりすると幅が狭くなるのではないかと思う。足場を組む方法はいろいろあって、足場を組むことでより高くより遠くへ行ける可能性は増えるけれど、どの足場をどうやって組むのかという地面の部分はメソッドの外側にある。そのあたりの方法論でカバーできない領域がまさに今人工知能に求められていることで、アルゴリズムでは書けなかったから人工知能という一種のブラックボックスに頼っているのだ。人工知能だってコードで書かれているじゃないかというふうに言われるかもしれないが、始点がそうであっても学習させた後の入出力関係はブラックボックスになっていて人が論理立てて説明できるものではない。人工知能の”ヒラメキ”は論理的に考えても分からない。
 願望は願望にすぎないが、1人の人間として、人間のヒラメキや思考も論理的に考えても分からない、幾分非科学的な、ロジックを超越したものであって欲しいと思う。条件分岐とループ如きで育まれる程度のものであってほしくないし、もっと言えば自由闊達にしていてわけがわからないまま自在に育まれるものであってほしい。

 

カロリーメイトアンバサダーミーティング;コピー:ロゴ。

 こういったカロリーメイト専用のホルダーも作っているし、こういうエントリーも書いているし、周囲の人にはときどきカロリーメイトの話をするので、僕がカロリーメイトを好むことを知っている人は知っていると思います。最近カロリーメイトアンバサダーになり、先日「カロリーメイトアンバサダーミーティング」という集まりに行ってきました。なんだその集まりはと思われると思いますが、それもそのはずで記念すべき第一回目のミーティングでした。
 その時の話を中心に、カロリーメイトのことを書きたいと思います。

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 話はミーティングの少し前から始まる。
 ちょっと前に、友達が口に軽い怪我をした。「食事で口を開ける度に傷が開いてなかなか治らない」と言うので、「じゃあカロリーメイトのゼリーみたいので1日か2日過ごしたら」と僕は提案した。別にカロリーメイトでなくても、他のゼリーでも何でもいいと思っていたので、そういうことも付け加えた。
 彼女が実際に買ったのはカロリーメイトで、「さすが大塚製薬」と彼女は数日後に報告してくれた。


「ゼリーでご飯済ませるなんてこれまで考えたこともなかったから、お店でそういうゼリー全部比較してみたの、成分表示読んで、そしたらカロリーメイトだけ200kcal入ってて他のはカロリー少なかった」

 僕はそんなことは全然知らなくて、大体みんな同じようなものだろうと思っていたのだが、たしかに確認してみると少ないものはカロリーが100kcal程度だったりする。さらにカロリーメイト以外の製品では栄養素がどれかしか入っていない、カロリーを摂りたいならこれ、ビタミンを摂りたいならこれ、ミネラルを摂りたいならこれ、という風に別れている。もちろんビタミンだけが欲しいという人だっているのだろうから、選択肢はたくさんあっていいのだろうけれど、値段はだいたいみんな同じだし、機能面からしてカロリーメイト以外のものを買う理由は見当たらないような気がした。
 カロリーメイトが好きだと言っても、僕が好きなのは基本的にはブロックタイプのパッケージデザインに限定されていたので、それまでゼリータイプにはほとんど関心がなかった。でもこのとき、そうかこういうゼリーにも確かにこだわりが存在して、なんだかんだ言っても大塚製薬は気を使った製品を作っているのだなと思った。
 
 それから数日後に参加したカロリーメイトアンバサダーミーティングは、メインテーマがこのゼリータイプのものだった。
 ゼリータイプの開発者の方から直接話を聞いたり、味を整えたりする前の、いわば素の状態のゼリーを試食させてもらったりという機会を頂いた。ゼリータイプの開発には5年も掛かったということで吃驚する。
 「5大栄養素を全部入れて、味を整えて、長期保存できるようにする」のはとても難しいという話で、一見「ビタミン剤とか香料とか適当に混ぜるだけじゃないの」と思ってしまうのだが、実際に作るとなると水分があって邪魔な化学反応も進んでしまうだろうし想像の100倍は大変なのだろう。他社の製品が特定の栄養素しか入れていないというのは、5大栄養素を全部入れることの難しさを暗に示しているのかもしれない。5年間の開発期間と費用を投入するというのは並のことではないし、この辺りはサイエンスを重んじる製薬会社がきちんと仕事をやり遂げたという感じがする。

 このゼリータイプについて、コピーを考える感じのグループワークもあった。
 短い時間のうちに納得のいくものはできなかったけれど、僕は言葉が好きだし、こういうのは楽しい。
 「バランス栄養食、カロリーメイト。」というフレーズは、既にほとんど完璧で、このフレーズと製品が生み出すイメージを壊さずに新しい要素を加えることは至難の技だ。
 このフレーズが持つイメージは、「単純にフレーズそのもの(と製品の合計)で作られたイメージ」と「経年変化を経て発酵し生まれたイメージ」の大きく2つのレイヤーに分解されると思う。
 
 1つ目のフレーズそのものに関しては、ソリッドでクールな”サイエンスで生み出した”という感じのイメージだと言うことができると思う。このフレーズを構成している4つの単語のうち「バランス」「栄養食」「カロリー」の3つはサイエンティフィックで温度がない。最後の「メイト」が軽やかに柔らかさを添えているだけだ。このクールさはブロックタイプのパッケージデザインにもよく表れている。BALANCED FOOD CALORIE MATE BLOCKというロゴの下にびっしりと小さな文字で表記された栄養素と原材料名。多くの商品でパッケージデザインと広告の区別がつかなくなった昨今では殊更クールだ。破裂型の吹き出しを使って「五大栄養素全部入り!!!」みたいなことは間違ってもカロリーメイトのパッケージに書かれることがない。
 
 2つ目の経年変化はロングセラー商品が必然的に背負ってしまうものだ。
 僕は「バランス栄養食、カロリーメイト。」というフレーズがいつから使われているのかはっきりとは知らないのだけど、たぶん最初からだと思う。どうしてかというと、BALANCED FOOD CALORIE MATE BLOCKというロゴはBALANCED FOODの部分を取ってしまうと成立しないからだ。(ここの話は全くの憶測なので色々間違いなど教えて頂けますと幸いです。。。)

 このロゴに入っている BLOCKは消したり、あるいはJELLYなどに差し替えても大丈夫で、実際にそのように使われている。たとえばアンバサダーミーティングではお土産に大量のカロリーメイトと一緒にしおりを貰った。しおりにはロゴが付いていて、カロリーメイトという商品群を表すためにBLOCKの部分に何も書かれていない。BALANCED FOOD の部分は残っている。
 BALANCED FOODの部分とBLOCKの部分では決定的な違いがある。 BLOCKは消してしまってもCALORIE MATEのCとMの文字が下に長く伸びているのでロゴ全体の高さは変わらない。BALANCED FOODは消してしまうと全体の高さが低くなってしまうので、ロゴの縦横比を壊してしまう。縦横比を壊してしまうのはまずいし、さらに突っ込んだ憶測をすると4本入りブロックタイプのパッケージではロゴ部分の高さと成分表示部分の高さが黄金比になっているのではないかと思う。たとえ黄金比でなくてもここのプロポーションだって変わったら困る。
 だから多分、製品のロゴができた最初の最初からBALANCED FOOD、ひいてはバランス栄養食という言葉が使われていのではないかと思う。そして、発売開始当時にはソリッドでクールだったこの言葉も、1983年の発売から約30年という時を経てレトロフューチャーに近いイメージを纏うこととなった。ここには信頼感と若干の的外れ感の2つがミックスされている。信頼感は問題ないが、的外れ感はより沢山の人に訴求するという意味合いでは欠点だし、ここはコピーや広告が補うべき部分かもしれない。たとえば、最近のカロリーメイトのコピー「とどけ、熱量。」は短くクリアカットで若々しい言葉使いで、信頼感を保ったまま30年の時を一気に飛び越え、新鮮かつ力強い文脈で当初のソリッドでクールなイメージを蘇らせることに成功している。
 
 ただ、もちろんコピーや広告だけでは付け焼き刃にもなり兼ねないし、商品そのものでもトランス脂肪酸やオーガニックということを気にする時代に合わせて改良する必要があるとも思う。
 ミーティングの最中、「そういえばカロリーメイトが発売された時、これはお菓子かご飯か論争があった」という話を聞いた。
 これは取りも直さず、食べ物に関しての全く新しいジャンルを開拓したということを意味している。それは素敵なワクワクすることだったけれど、30年が経過してすっかりとカロリーメイト的なジャンルは定着し、さらに時代は変わった。食事には自然で安全であることが求められるようになった。大塚製薬の企業理念は「Otsuka-people creating new products for better health worldwide」で、会社のサイトには「隅から隅まで創造性」とも書かれているので、そろそろ更に革新的な改良があるといいなと思う。

「君の名は」:社会の疲弊とフィクション

 何でもない家の前に女の子が1人立っている。彼女は満面に笑みを浮かべていて、その理由は分かる人には写真を見るだけで分かる。家の作りからすると、写真が撮られたのはアメリカのどこかの住宅街で、幸いなことに背後の空は抜けるように晴れている。そうか、ここはカリフォルニアで雨なんてそんなに降らないか。
 そうここはカリフォルニア。笑顔は快晴のお陰ではなくて、写っている家がある有名なテレビドラマのロケ地だったからだ。
 いつもクールでシニカルな彼女が、あまりに幸福そうに笑っているその写真を見て、僕はフィクションというものを過小評価していたのではないかと思う。フィクションはただのお話で嘘っぱちで、面白いけれどただの虚構で、そんなものロケットを飛ばしたり半導体を設計したりすることに比べれば取るに足らないおままごとだと思っていた。でも、もしかしたら、ロケットを飛ばすのと同じくらいの正当性というか実用性というか、ざっくばらんに価値みたいなものがフィクションにもあるのではないかと、その写真を見てから考えるようになった。
 そういえば、物語に一切触れずに育った人はたぶんいないし、自分が一切物語に触れずに育ったらどうなっていたのかは想像の範疇を超えている。

 「耳をすませば」という映画の冒頭部分を何度も何度も繰り返して見ていたことがある。冒頭部分で描かれているのは映画の舞台である聖蹟桜ヶ丘の何でもない日常のシーンで、電車が走っていたり、サラリーマンが帰宅途中だったり、コンビニがあったりという本当にありふれたものしか出てこない。けれど僕はその数分間の映像にすっかりと心奪われて何度も何度も繰り返して見ていた。当時は京都に住んでいて、聖蹟桜ヶ丘という多摩市の街のことは何も知らなかったから、街に親近感があったというわけではない。「なんでもない日常が丁寧に描かれている」ということにまつわる何かに僕は魅了されたのだと思うが、それがどういうことなのかは分からなかった。
 この奇妙に強力な魅力は一体なんだろうという漠然とした疑問が、それから頭を離れない。
 
 去年の2月、京都から東京へ引っ越しをした。
 荷物は送って、僕自身は50ccのバイクで移動した。50ccのバイクでは高速道路には入れないので、ずっと下道を走ることになる。だから途中で地図を何度も見ることになるのだけど、豊橋辺りで地図上に現れた文字にドキッとした。「飯田線」とそこには書かれていた。そうか豊橋だ、豊橋稲荷の豊橋だ。豊橋からは飯田線が出ていて北上して行くと田切や伊那がある。
 一体何のことかというと、飯田線は僕が中学生のときに好きだった「究極超人あ~る」という漫画のOVAの舞台だったのだ。そんな20年以上昔に見たアニメのことなんてすっかり忘れていた。飯田線という地図に描かれた文字は記憶を呼び覚まし、あの頃はただ遠いどこかとしか思えなかった飯田線の近くに今自分がいるのだという事実に心がザワザワとした。そのザワメキは思いがけず大きなものだった。そうか、アニメの聖地巡りというのはきっと楽しいのだろうな、と思う。同時に、どうしてフィクションの中に出てきた場所に今自分がいるからといって喜ばなくてはならないのだろうという疑問も頭をもたげた。あれは全部作り話だ。アニメの中で起こったことは現実には起こっていない。ここに彼らは来ていない。そもそも彼らは存在していない。僕は完全な虚構に対して勝手な感動をしている。
 だけど、その勝手な無根拠に思える感動は確かな感じもした。
 
 以上3つのパラグラフは、フィクションと現実の関係性を僕に突きつけてきた3つの出来事だ。
 この3つの出来事がなければ、たぶん僕は「君の名は」を見に行っていない。もともと恋愛を核に据えた物語は嫌いだし、タイトルも恥ずかしいし、何度か目についたトレーラーは子供をターゲットにしたJ-POPのMVみたいだった。つまり子供騙しにしか見えなかった。
 映画を見に行きたいと思ったのは、新海誠監督のインタビューを見たせいだ。
 新海さんは、丁寧で思慮深い話し方でどうして美しい風景を描くのかを説明していた。高校生のときに夕日が沈んでいくのを見て世界との一体感を感じて涙が出てきたという体験。気分の良いときに見る景色は美しいから、反対に美しい風景を見れば人は良い気分になるのではないかという考え。それらの話は「幸せだから笑うんじゃなくて、笑うから幸せになるんだ」みたいな気味悪さを持っていて賛同というわけにはいかないのだが、新海さんがかなり意図的に人の心に働きかけようとして新海マジックと言われるキラキラした作画をしていることが分かった。無論、アニメ作家が何も考えないでただ景色をキラキラ描くということはないのだろうけれど、意図が明確に新海さん自身の口から語られ、僕は先程挙げた3つの体験を思い出した。
 新海誠という人に興味を持った僕は、youtubeで見つけた新海さんがトップランナーに出演したときの動画も見てみた。放送されたのは2005年と随分古い。まだ30歳を少し過ぎただけの若い新海誠は自分1人で作ったアニメ映画がネットで話題になり映画館で上映されたりして既に大活躍していた。話し方は丁寧で明快でやはり思考の柱が立っていて、質問に答えるときには質問者の想定した予定調和に流されることがない。そして社会というものを意識して分かりやすさを念頭において制作していると彼は言っていて、僕はこの人が作った作品を見てみたいと思った。それで映画館に足を運ぶことにした。
 
 映画は思っていたよりも面白かった。劇中で描かれるきらびやかに装飾された日常風景がどういう具合に働くのかをやや分析的に見るつもりだったけれど、テンポの良い話の中に引き込まれて単純に鑑賞してしまった。好きか嫌いかと聞かれたら返答には困ると思うし、きっとやや嫌いだと答えるだろう。ラブストーリーは好きではないし、記憶を失うというギミックも嫌いだ。でも物凄い熱量と情報量には圧倒された。そして緻密にきらびやかに描かれた風景には違和感を感じた。
 この違和感をどのように表現すれば良いのか分からないうちに、映画のことは忘れていた。
 違和感について進展があったのはつい先日のことだ。話をしていて「君の名は、見たけれど、どこかの宗教が作ってるアニメを連想しちゃって、ちょっと駄目だった」という感想を聞き違和感の謎が解けた。彼の言っていることは的確に僕の違和感を表現していた。引っかかっていたのは「宗教っぽい」ということだったのだ。

 このアニメ映画は大ヒットしているが、これは社会が疲弊して幼稚化していることの現れなのではないかと思う。
 長時間の面白みがなくただ辛いだけの仕事に生活費の為従事していてビジネススーツで満員電車に乗る希望を失った人が、新海誠の描く東京の景色などを思い出して、きらびやかに演出された東京を走る満員電車と辛いけれど頑張って通勤しているなんでもないけれど素敵な人々みたいなものを脳裏にイメージして、それで何かを誤魔化すのではないだろうか。こんなに詰まらない生活だって、あのアニメの中のキラキラした世界の一部として描かれたらどうだろうか、毎日嫌で嫌で楽しいこともないけれど、それは間違いで、本当はここはあのキラキラした東京で、私は頑張っている人々の1人で実は輝いているんだ、というように自分を騙すことができる。
 
 全ての映画には、全てのコンテンツには現実逃避の作用があって、それはコンテンツの魅力でもあるわけだが、逃避先であるフィクションと現実が半分重なった形で提示されるとフィクションと現実の混線が発生する。混線の具合にはどれくらい現実から逃避したいかという個々人の事情が影響する。混線が強ければ強いほど、現実世界はフィクションによってより強力に装飾され誤魔化される。
 
 新海さんの描く景色は緻密でリアリティがあって慈しみを感じる。現実と虚構が溶け合っていて、現実のすべての物が大げさに美しく描き直される。混線が発生する。たとえ描かれている対象が現実的には醜い事象あっても、それはこの美しい世界の一部であり肯定されるべきものだという危険な説得力があって、それはちょうどドキュメンタリー番組でサバンナの生き物がライオンに食い殺されても、これは美しい自然の一部だと納得してその哀れな牛だか鹿だかの痛みには目が行かなくなるのに似ている。
 細部まで緻密に書き込まれた写実性は、細部へ視線を誘導しそうに思えるが、実際には描かれている世界全体を成立させて離陸させる。
 つまり、全体としてのシステムが美しく肯定されるべきもので、それを構成する個々の事情はないがしろにされる。だけどもしも自分がライオンに襲われる鹿だったら、これが自然の摂理なのだなんて思っている場合ではない。全力で逃げなくてはいけないし、爪に掛かり牙に引き裂かれたときには激痛を体験して死んでいくのだ。
 全てを肯定する効果のある過剰に輝かしいアニメーションは、どうにかライオンから逃げなくてはならないという意思を人々から剥ぎ取る。人を麻痺させてこのままここに突っ立っていればそれでいいのだと思わせる。何かを嫌だと感じているのであれば、それはあなたが間違っていて、本当はあなたは既に美しい世界を生きていると語り掛けてくる。それは楽で魅力的な囁きだが、現実を変えないという意味合いで好ましくない。あの映画を見て、明日からもこの嫌な仕事を頑張ろうと思う人はいても、この嫌な仕事をやめてしまおうと思った人は少ないのではないだろうか。フィクションには強い影響力がある。それがある現実の問題を炙り出すのではなく隠蔽してしまう方向に働くときには、特にそれが癒やしと呼ばれるときには軽い嫌悪を覚える。
 当たり前のことだが、本当は東京はあんなにキラキラしていない。僕達はその世界を生きている。

FAB12,深セン: その3

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 8月10日。

 雷雨の音で目が覚めた。起床予定時刻より30分早い。まあいいかとそのまま起きて、窓から雨の町並みを眺めた。通りに人は少なく、まだ車もそれほど走っていない。雨は結構な強さだったが、あちこちをビニルで覆ってパラソルのような屋根を付けた電動バイクが走っている。
 今日も9時にシェラトンへ行く予定だ。雨具を持っていなかったので、フロントで傘を貸してもらえるかと聞くと、貸せる傘はないけれど売ってはいるというので買うことにした。たしか450円くらいで、出てきたのは地味な紫という僕の全く好まない色だったが、きちんとした折りたたみ傘だった。この日から毎日のように雨が降って、この傘には滞在中ずいぶんとお世話になった。
 ホテル最寄りの地下鉄入り口は、上りだけエスカレーターになっている。下りは階段しかない。雨が降るとエスカレーターが止まり、上りの人も階段を上がってくるので下り用の通路がいつもの半分の幅になってしまい、さらに傘を差したり畳んだりする為に人々が立ち止まるので結構な混雑となっていた。

 夕方までは昨日と同じような進行で、夕方からは3nod( http://www.3nod.com.cn/en/ )という会社に招待されて食事をした。
 バスが何台用意されたのかは分からない。僕達は何百人もいて、その全員がバスでホテルから3nodへ移動した。たまたま沢山目撃したのか、それともそういうものなのか、バスからは3度、交通事故を目撃した。高層ビル群を離れて、しばらくあまり高い建物がないエリアを走り、また高層ビル群が見えてきたなと思ったらそこが目的地だった。目的地周辺で、僕達のバスは迷い、誘導係りの女の子が電話と運転手になにやらまくし立てて、運転手も女の子になにやらまくし立て、同じ道をぐるりと二周してから3nodのビルに着いた。
 ビルは階段がイルミネーションというかディスプレーになった豪華というか吹っ切れたものだった。周囲にも高層ビルが建っているだけではなく、工事中の場所がたくさんあってどんどんとビルを建てているようだった。街はすでに街として機能しているけれど、その辺にどこかのビルに入れるのであろう大きなガラス窓や資材が置いてあったりして、街全体がまだ成長中で工事が日常に溶け込んでいるという雰囲気がした。

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 ピカピカと映像の表示されている階段を上がっていくと、インキュベーションセンターみたいな部屋があって、そこには3nodの社員であろう女の子が何人かいた。一番背の低い女の子が、拡声器を持って僕達に挨拶をする。どうやら、これから社内(展示場)ツアーのようなものがはじまるらしい。3nodはイノベーションとかインキュベーションとかスマートとか、そういう感じの会社でFAB12のスポンサーでもある。僕がこのツアーで受けた印象は「プラスチック」だった。オフィスのような場所には窓がほとんどなくて、そして形状と色彩はユニークを指向しているがセンスと素材が足を引っ張っていて全てがチグハグだった。僕は十数年前ボールチェアとかパントンチェアとか1900年代半ばのスペースエイジっぽいものが好きで、「全てのものはプラスチックでいい」と断言していたのだが、その頃を思い出した。
 
 その頃、一緒に家具を作って仲良くなった先輩というか、年上の友達が居て、彼は建築学科で修士課程にいた。そして「俺が建築で一番大事だと思っているのは質感だ」という話を何度か聞いた。今は彼の言っていたことが良く分かるが、当時の僕は「質感より形とか機能性が大事じゃないですか」と寝ぼけたことを言っていたと思う。十代とか二十歳くらいの若者をターゲットにした店で売られているのは品質は低いけれど色や形は工夫してあるというような商品で、昔は僕もそういうものでいいと思っていた。素材なんて二の次だと。でも今は素材の重要性が良くわかるし、そういうものはある程度の年齢にならないと分からないことなのかもしれないとも思う。一緒にショールームを見ていたあるデザイナーが「こんな程度の低いものを見せて一体なんのつもりだ。会社の評判落としたいのかな」というようなことを、実際にはもう少し手厳しい表現で言った。僕も正直なところ同感だった。

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 しかし、これは個人とは意味は違えど、ある意味合いでの若さというものかもしれない。燃費の良さを誇るどころか、まだサンフランシスコの坂も登れないと笑われていた頃の日本車のようなものかもしれない。深センには兎に角、勢いがあった。お金はあるからどんどんやるんだ、という気概があった。そのお金や気概を求めて世界中から人々がやってくる。僕は実情を知らないが、もうアメリカからはこういう製造業は失われていて、ハードをやろうと思ったらこっちに来るしかないというような話も聞いた。2,3年前にオバマ大統領が「メイカームーブメントでmade in Americaよ再び」みたいなことを一般教書演説で言っていたので、一旦made in Americaが失われそうになったのは本当のことなのだろう。今のアメリカのイメージは一応まだシリコンバレーと、メイカームーブメントだが、そういえば数年前まで、リーマン・ショックまで、アメリカといえばファイナンスとかMBAだった。これは何かに似ているな、と思ったらSONYだ。SONYはいつの間にか保険とかコンテンツの会社になっていて、でも最近のメイカームーブメントと歩調を合わせるようにしてまた面白い製品を作るようになってきたような気がする。

 例によって、ここでもイノベーションという言葉は目に付く。「イノベーションへのステップ」「ユニコーン!」みたいなことが壁に印刷されている。
 例によって、僕はイノベーションという言葉が好きではない。言葉自体は無機なるものだから、単語そのものを嫌うわけではないけれど、メイカームーブメントやユニークな企業や、”奇妙な人達”の出口にイノベーションというものを設定されると息が詰まりそうになる。「こーんなに自由な社風で、こーんなに変な人達がいて、見て見て、あの人なんて一輪車で出勤してますよね、ユニークですよね、それで、こういう毎日変なことがたくさん起きる環境からイノベーションが生まれるんです。変な人って大事なんです」みたいなことを言われるとイライラとする。
 その場その場で発揮され、味わわれ、その瞬間瞬間にほとばしっていたはずの、本来の語義でユニークな個々の活動というものが、イノベーションというただ定義上善なるものに回収されてしまうことを気持ち悪く思う。そしてイノベーションの6,7割は多分お金が儲かるという身も蓋もない話だ。イノベーションありきの多様性の容認は多様性ではない。
 と、また批判的なことを書いているが、3nodに集まってくるお金はイノベーションで儲けてリターンを得るために集まっているのであって、誰かがご機嫌に遊ぶためではないので状況は理解できる。メイカームーブメントの一部がこのような形で動いてもいいと思うし、世界の水不足を解決したいとか言ってイノベーションを目指すのもいいと思う。ただ、イノベーションに成功してユニコーンとなった人達の発言力は強い。そして巨大企業の力は凄まじい。だから「自由で変な人達は将来のイノベーションの為に大事なのだ、ほら異能ベーションとか」みたいな風潮が人々の間に広がるのではないかと思う。繰り返すようだが、それは今ここで発揮され体験されるものを先送りして金銭的価値にカウントしなおすという恐ろしさを持っている。これはとても資本主義的で会社社会的で、全くもって新しい世界なんかではなく、20世紀の延長にすぎない、というか産業革命の延長に過ぎない。そんな古臭いものに最先端の顔をされても困る。

 いつの間にか、人々の言葉使いが「ビジネス」みたいになってしまったと思う。堅苦しい話し方をするとかそういうことではなくて、ビジネスタームとその文脈が人々の日常生活を侵食したということだ。戦後日本は会社の為に存在するような国なので、人々の日常生活なんてものはもともとなかったのかもしれないが、英会話スクールに通ったりすることを「自分への投資」と表現するのが一般的になった頃、ビジネスによる生活の侵食が一段と進行したと思ってゾッとした。自由闊達に遊んでいる子供たちの勝手気ままな振る舞いが「将来のイノベーション」という言葉に巻き取られた瞬間、ビジネスによる生活の征服は完了する。全ての人々の、全ての行動と思考が、ビジネスの文脈の中に絡め取られる。
 「お受験」のときは、幼児や幼稚園児が変なお受験の塾に放り込まれて親がバカ高い金を払うという代償が明確だったことで、ビジネスによる生活の侵食は可視的かつ不快なものだった。だが今度は違う、イノベーションは自由なところから生まれるので、子供たちは一見するとのびのび育てられて特に制約も課されない。その実、全てがイノベーションを頂点としたピラミッドへと構造的に回収されてしまう。その恣意性は息苦しい。たぶん僕達は今立ち上がりつつある、新しい足枷としての常識を目撃している。かつてファションにおいて「モードを破壊することも、これもまたモードである」と構造主義の入れ知恵が1つの運動を囲い込むことに成功した。ファッションは思想的には服飾ではなく社会の全体であったが、実質的には服飾という極々限定的なシーンでしか作用を発揮しなかった。今度は違う、メイカームーブメントにしてもファブにしても「ほぼなんでも」作るし扱うし育てるし考えるのだ。そこには生活の全てが含まれる。今イノベーションという言葉は、生活の全てに対して「イノベーションを志向しない自由闊達なあらゆる営みも、これもまたイノベーションの種である」という形の囲い込みを成功させつつある。イノベーションというのは具現化したときほとんどが会社という姿なので、さっきのセンテンスは「会社を志向しない自由闊達なあらゆる営みも、これもまた会社の種である」と言い換えることができる。
 こうして、海岸を散歩しているときに彼女が見せた世界で一番美しい笑顔もイノベーション(会社)の内部に取り込まれて凍結される。つまり、個人のライフは消滅して世界を闊歩するのは実質的には実質を持たない法人だけになる。
 
 僕はテクノロジーが大好きだし、技術的な進化が世界を変えること自体はどちらかというと好きだ。だけど、イノベーションという言葉の取り扱いと流布の仕方には注意がもう少し払われてもいいと思う。考え過ぎだよ、と良く言われるが、考えというのは足りないことはあっても過ぎることはない。考え過ぎだというのは「それは間違っていると思うけれど、どこがどう間違っているのか指摘できないからそれを言うことはできない」という意味だ。
 ”イノベーション”は世界と生活の全てを覆い尽くす。それが悪いことか良いことかも分からない。ただ、何かに覆い尽くされて何に覆われているのか意識できない状態は嫌だと思う。20年後くらいに、ふとした瞬間頭をよぎる漠然とした生き辛さの根源が今立ち上がりつつあると僕は思う。止められないし、止めたいとは思っていない。ただ飲み込まれたくはないと思う。

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コーヒーと常識

 50日くらいコーヒーを飲んでいない。やめたのかと聞かれたら、やめたわけではないが欲しくなくなった。小説を書いたりするときに、ときどき行くお気に入りのカフェが家の近所にあって、そこは値段が高いこともあってスタバとかマクドナルドみたいに高校生の集団とかが騒いでいたりしないし、各席がゆったりとした空間を持つように設計されているので広々していて快適だ。そのお店にいるときは、リラックスしているけれど頭の芯には確かな集中が存在しているという状態になる。だから自然と身体の状態にも敏感になるのだが、この店でコーヒーを飲むと肌の表面が微かにピリピリするのを感じるようになった。最初は蚊とかダニみたいな有害で刺すタイプの虫にやられたのかと思ったがそうではなくて、コーヒーを注文しないでバナナジュースみたいなものにしたり色々試してみると確かにコーヒーと因果関係があるようだった。調べてみるとコーヒーを飲むと肌がピリピリするという人はそれなりに存在するようでなんとかという症状名が付いていたが忘れてしまった。それからなんとなくコーヒーがあまり身体に合わないのかもしれないなと思って飲まなくなった。その店以外の場所でコーヒーを飲むときは別の仕事をしているときとか、誰かと出掛けているときとかで、そういうときには適度な緊張があるので身体の細やかな感覚には意識が行かない。だからそういうときは平気だが、それは身体からのシグナルを無視しているだけなのだろう。そうして1週間くらいコーヒーを飲まないでいると、全く欲しいと思わなくなってしまった。僕はカフェインが効いてくるときの高揚感が好きだが、あのようにはっきりした高揚は身体には負担だったのかもしれない。それから焙煎で生じた何かが焦げた臭いや、どこかアルカロイドを連想させる味も苦手なような気がしてきた。

 実は自分がいつからコーヒーを飲むようになったのかははっきりと分かっていて、2010年の夏からだ。その時のことを僕はブログに書いている( http://ryotayokoiwa.hatenablog.com/entries/2010/06/13 )。コーヒーが飲めるようになったのは嬉しかった。大袈裟に言うと社会に受け入れられたような気がした。それまでいつも出されるコーヒーを丁寧に断って、店に入ってはメニューの端にお情けのように載っているオレンジジュースとかアップルジュースとかココアとかを飲んでいたが、これからはメニューの広大な領域を占めている多種多様なコーヒーの中から選択することが可能だ。一緒にアルコールを飲むよりも、一緒にコーヒーを飲む方が豊かなバウンドを人との間に築けるような気もした。誰か好きな人とどこかへ出掛けて疲れてきた時に、快適な店に入ってコーヒーを飲みながら話をして休憩するのは天国みたいな時間だった。まるでこの休憩をするために出掛けたみたいに、良質のコーヒーがもたらす休息は快適だ。
 コーヒーを飲むようになった僕は、ミルからドリッパーから一式買い揃えて近所の有名店で豆を買ってきて自分がベストだと思うブレンドを考えたりした。コーヒー淹れたよ、実はシナモンロールも買ってあるよ、と恋人に起こしてもらう朝は豊かだったし、丁寧に淹れたコーヒーというものには現代では見つけにくくなった誠実な豊かさの象徴みたいな側面がある気もした。
 
 だが、段々とコーヒーをこんなに誰もが飲んでいるのは異常なのではないかと思うようにもなってきた。その違和感は缶コーヒーのCMが癒やしだとか辛いサラリーマンの味方だみたいな明るい絵作りの実質的にはネガティブなものであることや、石油に次ぐ第2位の取引額という信じがたいようなお金が動いていること、コーヒー豆の産地の人々は低賃金でこき使われていて自分たちではコーヒーを飲んだことはないという話などから膨らみ始めた。街中にこんなにたくさんコーヒーショップがあって、大人になると大半の人間が焦がした豆を砕いたものの出汁を飲んでいて、そこから得られるリラックスと同時に覚醒作用に依存しているというのは異常だ。
 嘘か本当かは知らないが、戦争中は兵士の行動時間を伸ばしたり疲労を隠して気分を高揚させるために覚醒剤が使用されたという話があって、銃で撃ちあったりナイフで刺したりということはなくなったが経済だかビジネスだかなんだか、企業でこき使われて疲弊した人間がカフェインで疲労を誤魔化しているのはそれに似ているような気がした。覚醒剤には圧倒的な効き目があってピュアにドラッグとして扱われるが、コーヒーにはマイルドな効果しかなくその不足分がコマーシャルや雑誌で提供される物語性で補われる。スターバックスをテイクアウトしてシリコンバレーのIT企業やウォール街をコーヒー片手に闊歩するビジネスマンのイメージに自分を重ねあわせたり、都会のオフィスで良く考えてみれば何の意味があるのか良くわからない仕事を胃に穴を開けながらやって得た賃金で高いサードウェーブコーヒーを飲んで都会から少し離れた場所でオーガニックな丁寧な顔の見えるコミュニティに所属して生活するというトレンドにコミットしているような幻想を抱いたりする。
 
 いつからか、コーヒーは人々をこき使って作った、人々をこき使う為の飲み物というイメージが僕の中で形成され始めた。たとえば数年前の韓国ドラマなどではコーヒーがフィーチャーされたものが結構あるし、メディアに出てくるコーヒーのイメージはどれもこれも良いものばかりだ。特にサードウェーブコーヒーという言葉は新しい生き方、新しい丁寧な生き方に繋がっているようなイメージと強く結びついている。
 たぶんこれらは、僕がコーヒーを飲み始めたときに感じた社会に受け入れられたという感覚と無関係ではないはずだ。

 コーヒーという飲み物に違和感を感じるようになってから何度かコーヒーに凝っている人を批判するようなことを書いた。その批判の内容は、コーヒーは手軽な逃避場所で、好きだからあれこれ凝っていると言いながらそこに逃げ込んでいるのだが自分ではそのことに気付かないふりをしている、というようなものだった。これは相当に穿った見方だし、あとからこういう批判をしたことを反省した文章も書いた。コーヒーにはコーヒーの世界の広がりがあって、それが本当に好きだという人だっているだろうし、世界一のバリスタみたいなものを本気で目指している人達だっているに違いない。だが、コーヒーという圧倒的マジョリティとなっている価値観にコミットすることは幾分盲目的な危険を孕んでいるように思う。コーヒーという飲み物はあまりにも当たり前になっていて、大人になったら会社で働くとか、土日だけが休みだとか、子供は学校で国語算数理科社会を勉強するとかみたいな常識に近接している。常識というのは歴史的にみれば現代だけに限定された奇習でしかないが、その時代に飲み込まれている人はそれが高々数十年前から始まった習慣に過ぎないと気付かないのでそれに限定された範囲でしか行動できないで死んでいくという意味合いで危険なものだ。
 自分がいかに無知で馬鹿な子供だったのかを告白することになるのであまり言いたくはないが、小学生のときは毎日給食に牛乳が出て「牛乳は身体にいいし、飲まないとカルシウムが不足して骨粗鬆症という病気になって骨折しやすくなる」と学校で聞かされていたので、牛乳は毎日飲むものだと思っていた。日曜日とか夏休みに牛乳を飲まないとなんとなく不安で落ち着かない気分になった。僕は牛乳というのは毎日飲むものだというローカルな常識に侵されていてインターネットもなかった時代の田舎では誰もそれが馬鹿げていると教えてくれなかった。それどころか牛乳を飲むのはいいことだという風潮があった。当時の田舎の教師は本当に無知だったので、牛乳を飲むことができないと言っている子供にも「砂糖を溶かしてやったから飲め」と強制的に牛乳を飲ませていた。
 
 コーヒーを飲むのをやめたと決めたわけではないし、コーヒー批判をしたいわけでもない。文化というひどく曖昧な言葉を使うとコーヒーがもたらした一定の素晴らしい文化は確実に存在するし、これだけ沢山の人々の嗜好品になっているというのは物凄いことだ。それにカフェという場所がないと困る。
 昔似たような話をある人にしたら、「陰謀論とか好きなんですか?」と訳の分からないことを言われた。当たり前だがコーヒーを使って誰かが世界をコントロールしているというようなことを言いたいわけではない。しかし、「パンとサーカス」ではなく「パンとコーヒーとサーカス」というような言い方は案外的を得ているのかもしれないとも思う。(ちなみに陰謀論という言葉自体がCIAの発明だという「陰謀論」もある。人は何かがおかしいと思っても「それって陰謀論じゃん」と言われたら自分が気違い扱いされているようで何も言わなくなる。)
 
 ただ変な感じがする。道路を歩いている時に街中がアスファルトとコンクリートで覆われていることに感じる違和感と感じように違和感を感じる。アスファルトで舗装された道路から僕達は大きな恩恵を受けている、物流や交通といった社会的なことから、単に歩きやすいという日常レベルのことまで。2日間ほどずっと山の中を歩いていてアスファルトの舗装道路に出たことがあるのだが、あまりに歩きやすくて感動した。だからアスファルトの道路を批判したいわけではないけれど、世界の色々なところがこんなに舗装道路で覆われているというのは普通のことではない。それと同じように、世界中の色々なところでこんなにたくさんコーヒーが飲まれていて、しかもカフェインの薬効がカウントされているというのは普通のことではない。

FAB12, 深セン:その2

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 8月9日。朝9時にシェラトンへ。
 基本的に午前中は色々なプレゼンテーションを聞いて、午後はワークショップ、夜はパーティーというスケジュールになっている。
 この日、午前中のプレゼンテーションで、Fab2.0というものが宣言された。プレゼンターはFabLabの基礎を作ったMITのニール・ガーシェンフェルドで、「もうFab1.0は終わりにして、このFAB12からはFab2.0を始めよう。Fab2.0がどんなものか、詳細はまだ誰も知らないものだが、これから我々はそれについて考え手探りで立ち上げていこう」という感じの話だったと思う。
 FabLabは、MITの「ほぼなんでも作る方法」という講座や、貧困地域などにデジタル工作室(つまりFabLab)を作ったら地域の人達が地域の問題を解決する物を作り始めたという事実を元にして始まった。今ではFabLabの数は世界で1000に迫ろうとしていて、FAB12のような会議には何百人もの人が集まるようになっている。このFAB12の12というのは12回目ということで、たとえば横浜で3年前に同様のイベントが開催されたときはFAB9だったし、来年のサンティアゴでの開催はFAB13となる。FAB3とかFAB4みたいな初期を知る人は「いやあ、あの頃は20人とかしか居なかったから」と感慨深く教えてくれる。
 このFABなんとかが開催されて既に12年、FabLabの黎明期がだいたい2000年前後だと思うので、そこからだと約15年。仮にこれまでの期間をFab1.0と呼ぶのであれば、それは「買ってきた機械でFabLabで何かを作る」というものだった。これからのFab2.0では「機械も自分たちで作って、ひいてはFabLabをFabLabで作ろう」ということが念頭にある。本当はこんなクリアカットな物言いはできない。なぜならFabLabはその設立時から既に「ほぼなんでも作る」と言っていて、その中には当然「作るための道具」も含まれている。FabLabと言えば多くの人がイメージするであろう3Dプリンタにしても、元から「3Dプリンタで3Dプリンタを作る」という自己複製の機能がフィーチャーされて、それが生命体に似ているという指摘もあった。だからFab2.0という言葉は本質的には空虚だと思う。最初に「ほぼなんでも作る」と言った時点で意思表示のようなものは100%既に終わっていたと思う。とはいえ、あとから評論のようなスタンスで事態を分析したり整理したりするために新しい言葉が必要になることはある。その新しい言葉は、今ここにある運動を促進することもあれば、妨げになることもある。
 
 全ての言葉は、それがあるから遠くへ行けるという状況と、それに囚われてどこへも行けないという状況を同時に生み出す。
 何か特定の言葉や概念について深く考えるとき、僕達はアクセルとブレーキが両方共踏み込まれているやや矛盾した乗り物を操縦することになる。
 当然、それは一筋縄ではいかない。
 FabLabという言葉はこの10年で世界の一部を変化させた。デジタルファブリケーションだとか、パーソナルファブリケーションという概念がFabLabと共に世の中に浸透したことは、まだそれがドミナントではないとしても事実だ。大学の講義の1つでしかなかったものがFabLabという形で世界に広がり、その数が1000箇所に迫ろうとしていることからもそれは見て取れる。
 企業の作る大量生産された製品と、それを買って使うだけの消費者の間に横たわっていた溝は、20世紀の終わりまで深く広いものだった。大量消費社会を生きるほとんどの人はそこを渡ろうなんて考えることがなかったわけだが、FabLabはそこに橋をいくつか渡したし、実際にそれを渡る人達も少しづつ増えている。
 FabLabあるいはFABという言葉は、その様に特定の人々を遠くへ連れて行くという役割を果たした。
 だが同時に、それは足枷でもある。
 武術家でもあった伝説的で悲劇的なアクションスター、ブルース・リーは自らの武術体系に截拳道という名前を付けたが、「截拳道には形がない」と言っていた。武術というのは、ほとんどの人達が戦闘方法だと思っているが本質的には「ありとあらゆることに臨機応変即座に対応する」というものなので形なんてものは本当に持ちようがない。本当は名前すら持ちようがないわけだが、便宜的には名前がないと困る。だから名前は持つ、しかしそれに囚われてはいけないし、よもや形なんて設定してはいけない。そのような微妙なテンションの細い縄の上を、僕達は気を付けて歩かなくてはならない。
 なんとなくだが「これからはFab2.0だという言葉を聞いた時」、FabLabという言葉は微妙なテンションの細い縄から確固たる鉄筋の橋に変わりつつあるような気がした。それは窮屈さに似ている。
 
 その窮屈さは、少なくとも2つの観点から言える。
 1つは、Fab2.0がFabLabネットワークの中から自然発生して共有された概念ではなく、示唆とはいえ一部の人から宣言されたこと。
 2つ目は、Fab2.0の延長にある、人道支援や教育や環境問題やイノベーションといった「善良さ(と最近の社会ではされているもの)」が結構大きな声で叫ばれていたこと。
 誤解されると思うので書いておくと、僕は別にこれらを批判するつもりはない。特に2つ目に関してはきっと良いことなのだろう。それに嫌ならFabLabをやめればいいだけの話だ。ただ、FabLabはある特定のベクトルを持っていて、そこへ向かい進んでいるのだなと思った。丁度、FAB12前日にMaker Fairで見たなんでもありで闊達なMaker movementとは別の事象ではあると思う。Maker Movementは截拳道に似ているが、Fabは太極拳のようなものを目指しつつあるように見えた。
 
 深センが如何にMaker達の支援とイノベーションに力を入れているかとか、オブジェクト指向ハードウェアといった話を聞いたあと、余興として会場中で大量の毛糸の玉をあちこち投げ合うということが行われた。飛び交った毛糸が絡まり合って、それがまるでFabricationのようだということだと思うが、僕はみんなで何かさせられることに嫌悪感を持っているのでこういうのは御免被りたい。
 毛糸休憩のあと、Global Humanitalian Labなどの発表があり午前は終了。

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 昼からは「電気やガスを使わずになるべく快適にすごせる家」についてのワークショップに参加しようと思っていたのだが、待てど暮らせどワークショップ主催者はやってこないし、誰かがオーガナイザーの方へ確認しにいったが結局状況は分からず。「じゃあ、どこか他を当たる」と人々は去り(とは言っても、もともと人気がなくて2人だけど)、僕とイギリス人の男二人だけがその場に残った。どうして残ったのかというと、そのイギリス人が「電気やガスを使わずになるべく快適にすごせる家」どころか「電気やガスを使わずになるべく快適にすごせる村」を作るプロジェクトを推進していて、それを議題にして色々話そうということになったからだ。
 彼の名前を仮りにピーターだとすると、ピーターとはこのやり取りの中でかなり突っ込んだ話をしたと思う。水や有機物の循環について、お互いに注目しているテクノロジーやスタートアップ、書籍などの情報交換を行いながら話した。さらにピーターのプロジェクトは実際に動いているので、その写真なども見せてもらった。この過程で、僕はときどき親しい人には話しているある計画について、自分は意外と真剣にそのことを考えているし、これはきっと数年後に本当にやってしまうのだろうなと気付いた。これまでの自分の人生を振り返ると、いつもなんとなく思っていることを数年後、忘れた頃に本当にやっていることが多い。「あっ、そういえばこれって何年か前に思ってたことだな」と、ある瞬間に自分のしていることを認識する。どうやら流行りの「即行動、素早さこそ全て」みたいなタイプではないようだが、かといって何も実現しないということもない。FabLabに関しても、知ったのは5,6年前で、3年前の横浜FAB9には友達がいるからという理由でシンポジウムだけ聞きに行って、FabLab関内のオープニングパーティーに場当たり的に参加した。今僕はFabLab世田谷に所属していて、比較的近いFabLab関内の人達にはお世話になっているし、FAB12にはシンポジウムだけではなくフルで参加させて貰っている。
 多分、僕は今考えていることを本当に実行へ移すだろう。すぐではないかもしれないがそうなるのだろう。ピーターとの議論で、自分の持っていたアイデアが実は自分にとって結構な大きさだと気付いたことは1つの収穫だった。

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 続けて、たぶんFabLabバルセロナ辺りの人達がやっていた、ファブリック系のワークショップへ行った。
 FDM方式の3Dプリンタで布の上に何か印刷してるだけだと思っていたが、他にもコンブチャを使って革のようなものを育てていたり、自分の形のトールソーを簡単に作る方法を模索していたりと広がりがあった。
 
 夕方からはホテルのプールに移動してプールパーティーの予定だったが、天気が良くないということで室内に変更。同じ場所なので、まるで昨日の夜かのように既視感のあるパーティーになった。

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