NEXUS5バッテリーマウント作成

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 まったくもってダサいのですが、NEXUS5のバッテリーマウントのようなものを作りました。
 僕はSIMフリーのNEXUS5を使っていて、古い所為もありバッテリーの持ちが良くない。バッテリーを交換しようかとも思ったのだけど、その程度の改善ではきっと旅行やなんかへ行った時にどっちにしてもモバイルバッテリーを使うことになります。
 そして、モバイルバッテリーは手に余る。

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 きっとこんな感じでスマートフォンとバッテリーをケーブルで繋いで、充電できるのはいいけれど扱いに困っている人はたくさんいると思います。
 無論、それを解決する為のグッズとしてバッテリー内蔵のスマートフォンケースなども出ていて、いくつかの機種に応じたものが販売されています。NEXUS5の為に作られたバッテリー内蔵ケースも売っているのですが、既に時代遅れの機種になったせいか、もうアマゾンでさっと良さそうなものが買えるというわけでもなかった。
 なので、薄いモバイルバッテリーを買って、それを保持する器具だけを3Dプリンタで作ることにしました。

  購入したのは、この薄型モバイルバッテリー。アマゾンで999円。2500mAhなので、内蔵バッテリーが2300mAhのNEXUS5を一回フルチャージできます。これを2つ。便利なことにmicroUSB端子は本体に付いています。 

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 このバッテリーがNEXUS5の背面に固定されるような器具の3DデータをFusion360で作ります。

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 そのデータをFabLab世田谷のFDM方式3Dプリンタ、AFINIA H480で出力。

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 このようにバッテリーを中へ収め、

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 あとはスライドさせてNEXUS5に取り付けます。

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 これでバッテリーとスマートフォンが一体化して扱うのが楽になります。ポケットにも無事に収まります。予備のバッテリーもあるので、かなりの酷使にも耐えうるはずです。
 格好は悪いですが。

起こり、消えた全ての事象の漣

 同じ時期にすぐ近くの研究室で博士課程にいた友人が、学位を取った後4年ほどヨーロッパやアメリカへ行って、この春日本に戻ってきた。丸の内で久しぶりに会って話をしていると、彼女は僕が全く思いもしなかったことを教えてくれた。話の発端は、「正しい修復」という言葉だった。彼女は文化財修復の研究者で、色々な国に色々な流儀というか正しい修復の基準があって、特に日本は変わっている、というようなことを言った。「ちょっと待って、正しいも何も、修復って元に戻すことなわけだから、それが作られた新品の状態に近づけるのが”正しい”ということで、いくつも基準があるというのは理解できない」と、僕は話を遮った。
「ああ、そう思うんですね。それは違うんですよ」
「えっ?!」
「新品の状態にしちゃいけないんです」
「えっ?!」
「たとえば500年経ったものなら、500年経った状態にしておかなくてはいけないんです。私が今、このテーブルの上で何かの修復作業をしていて、ケチャップを溢して汚してしまったとするじゃないですか、その汚れはキレイに取ります。でもそうじゃないのは、どれを取り除いて、どれを残すかという判断が入ってきて、結局は人間の主観が入ります」
「ああ、そうか、その物に刻まれた歴史は取り除いてはいけないということだよね。ケチャップは取り除いていいけれど、それがナポレオンの血だったら取り除いてはいけないというか、ナポレオンが零したケチャップだったらそれも取っちゃ駄目かもだし」
 もちろん、500年前に作られた何かに、現代の修復家が間違えてケチャップをかけてしまったというのも、その物に刻まれた歴史の1ページではある。もしもその修復家が後に「歴史的な」大人物になればそれこそ。だが大抵の場合、それは「歴史」にカウントしないということだ。歴史を編むときの主観が、ハードエビデンスである物品の修復にも入って来るなんて思いもしなかった。過去というものは、僕達が思っているよりもずっとずっと恣意的なものなのだろう。
 
 網野善彦の本で「百姓というのは”普通の人”みたいな意味だったのに、ある論文で間違って”農民”としまったのが広まって、いつの間にか昔の日本人は農民ばかりだったという誤解が生じた」というのを昔読んだとき、とてもびっくりした。歴史のことは、というか過去のことは僕には分からない。専門家ではないから分からない、というわけでもなく、過去のことは本当は誰もに分からない。だから「網野史観を支持するのか」と言われたら、僕には判断する根拠も何もなく、特に支持するというわけではないが、網野さんの本を読んだときのスカッとした感じは今も結構はっきり覚えている。当たり前のことだけど、今も昔も色々な人がいて、世界も社会も複雑だ。
 あの時のスカッとした感覚は、白黒の世界からカラーの世界へ飛び出した開放感に似ている。
 小さな頃、テレビやなんかで見る「昔」は全部白黒の映像だったので、「昔は色がなくて暗い世界だった」と思っていた。もちろんそんな訳はなくて、大昔から空は青く、晴れた日は明るく、森は緑だったし花は鮮やかだった。着物には色と模様が染められ、彼女はゴーストではなくキュートな生身の女の子だった。
 
 複雑なものを複雑なまま扱うことは至難の業で、僕達は歴史のことも勝手にシンプルに整形して理解しようとするし、その土台にはあの忌々しい義務教育とかいうので叩きこまれたフォーマットが根を下ろしている。
 歴史という言葉を「人類のこれまで」と捉えるとすると、それは端的にこれまでの全てなので分かりようもなく、さらには分かったとしても情報が多すぎるので一人の人間には認識することができない。500年前あの場所で何とかという名前の男が魚を食べたとか、2000年前この場所で誰々が枝の先を削っていたとか、そういう「重大ではない」全ての営みについて一々構っていられない。
 だが、それらがこの世界でかつて起こったのは事実だ。
 重大ではない、それらの全ては現実に起こり、そして消えた。
 その些細なすべての物事の影響は、カオスの縁を乗り越えて今日に作用を及ぼしている。
  
 「歴史あるなんとか」という言葉使いがあるが、歴史のないものはこの世界に存在しない。今日、さっき、これまでの人類の営みとは全く関係を持たずに社会に到来したものなど存在しない。全ての物は「歴史的で伝統的」だ。わざわざ「歴史ある」とか「歴史的な」とか、あるいは「伝統的な」とかいう形容が用いられる時、そこには「私があなた方に認めて欲しい」という更なる形容が隠されている。
 
 伝統や歴史を重んじるのであれば、ゴミ箱に大量に放り込まれているペットボトルはサイエンスとエンジニアリングの伝統の奇跡的な結晶だ。無色透明で軽くて強靭で液体が漏れず極めて安価で大量生産が可能な超高性能な容器は、古代から脈々と続いてきた数学や化学や機械工学の粋であり数千年の歴史が生み出したものだ。
 
 伝統工芸の漆塗りとか焼き物とか祭りとか踊りとか着物とか、それが伝統だから大事だという主張は、だから変だ。「伝統だから大事」なのではなく、「私が大事にしたい伝統だから大事」という話で、つまり「大事にしたいから大事にしたい」ということでしかない。それは個人やある特定のグループの人達の望みだ。
 絶対に誤解されると思うので断っておくと、僕は「本当は特定の人達の望みや欲求にすぎないものを、伝統という言葉で正当化しているのが嫌だ」ということを言いたいわけではない。
 僕が嫌なのは「”私達はこうしたい”という主張が、”伝統的だから”という本質的には何の意味もないエクスキューズに包まないと主張しにくい」という風潮そのものだ。
 
 「私はこうしたい」「私達はこうしたい」という欲求や希望は、本当はとても重要なものだ。「今、ここにいる私が、こうしたい」は歴史とか伝統とかよりずっと大事なものだ。だけど、それをそのままストレートに主張することは何故か憚られる、「伝統を守る」「社会に貢献する」とかなんとか耳障りが良くて誰もがなんとなく納得する言葉を付け加えなくてはならない。プレゼンテーションの最後はいつも「社会を良くする」だ。
 漠然と伝統という言葉を使うのであれば「おじいさんも、お父さんもずっとやって来た”伝統的な”祭りだから僕もやりたい」という感じの主張は有り得る。けれど、フィーチャーされるべきは「伝統を守るため」ではなく、「僕もやりたい」であった方が「僕は嬉しい」。
 そうでないと息が詰まりそうだ。
 もっとも、僕達が生きているのは裸で出歩いたら逮捕されるという、既に冗談みたいなシステムの中なわけだけど。

 

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

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台湾旅行記1:台北巨蛋(台北ドーム)

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 もう季節が変わってしまったけれど、4月に1週間ほど台湾へ行っていた。成田から桃園国際空港へ飛んで、バスで台北まで行き、そのあと新幹線を含めた電車で台南、高雄と移動して、高雄国際空港から成田へ戻ってきた。
 訪ねてみる前から、台湾というのは、すでにとても身近な国だった。台湾人の友達も何人かいて話もそれなりには聞いていた。日本と台湾の間にある重たい歴史のことも少しは知っているつもりだった。
 実際の台湾は、僕が思っていたよりもずっと日本との関係が深く、そしてずっと素敵なところだった。
 旅の全容は既に記憶からどんどんと溢れていて、断片的に印象に残っていることを書いていきたい。

 

 台北は現代的な大都会で、眺めているだけで楽しい商業施設もたくさんある。南国の雰囲気と先進都市が理想に近い調和を生み出している。ただ、台北で最も驚いたのは突然現れた巨大な廃墟を目にしたときだ。
 僕達は、華山1914文創園区のFabCafe Taipeiなどを訪ねた後、今度は松山文創園区へ向かっていた。ちなみに華山1914文創園区は酒工場跡地をリノベーションして作られた「文化的な」施設で、松山文創園区はタバコ工場の跡地をリノベーションして作られた同様の施設だ。リノベはどこもかしこもアートとか文化とかそういった類のものになるので詰まらない気もするけれど、まあ豊かさとはそういうものなのかもしれない。どちらも今風にきれいにできている。この辺りのトレンドは日本と完全に同じだった。
 通りを歩いていると、突然ビルの影に巨大な廃墟のようなものが見えた。通りといっても、街外れの寂しい道路ではなく都会の中のストリートで、その廃墟は特別場違いに見えた。

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 廃墟ではなく、建造中の何かなのかとも思ったが、誰も作業をしている人はいなかった。一見、何も動いていない。そして鉄骨の材はすでに錆び付いている。これは一体なんだ? どうしてこんな街の真ん中にこういった巨大な廃墟があるんだと思って調べてみると、どうやらこれは「台北ドーム」と呼ばれるものらしいと分かった。20年ほど前から計画されていた台湾初の室内ドーム球場で、2016年の4月、つまり僕が訪ねているまさにこの時が完成予定だった。工事は2013年に着工して、2015年に頓挫している。頓挫というのは、正確には台北市から停止命令が出ていて、その原因は工事の杜撰さということだ。図面と施工が違う、建築基準法違反、周辺での地盤沈下や地下鉄トンネルの歪みなど。ドーム反対派のでっち上げだという話もあるようで、蚊帳の外からでは何が本当かは分からない。それにしても随分と大きな廃墟を台北市は抱え込んだことになる。

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 台北ドームの建造には日本の大林組も関わっているとどこかの記事には書かれていて、そういえば僕はこの廃墟を目にする直前、「大林組」と描かれた工事看板を見つけて「あっ、大林だ」と写真を1枚撮っていた。関係ないのかもしれないけれど。

 

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 このドームは2017年のユニバーシアード会場にもなる予定だった。

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 これから、このドームはどうなってしまうのだろうか。何かに利用するのはとても難しそうなので、きっと取り壊しになるのだろう。それにも莫大な費用が掛かる。
 完成することのなかったこの廃墟は、街角に重たい痕跡をめり込ませながら、それでも景色としては松山文創園区に溶け合っているようにも見えて、なくなればなくなったで寂しいような気もする。

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Quartier latin Iterum

 「小学生のときから、ずっと生きるのが面倒だと思っていて、夜寝るときにこのまま目が覚めなきゃいいのにと思ってる」
 彼女はとても綺麗な女の子だった。一見、人生には思い煩うことなど何もなく、ただ美しい世界で毎日を謳歌しているような女の子だった。彼女が、あれこれ面倒くさくて、怖くも痛くもないのであれば今すぐに死んでしまいたい、生きることは面倒の連続だから本当にもう消えてしまいたい、というようなことを言った時、僕は彼女が描いている絵のことを思い出した。
 ある人は僕が書いていた残酷な小説の感想を送ってくれた。彼は軽々しい今風の言葉使いで表現すれば「クリエイティブで世界を良くする」関連のことを推し進めている人だが、「こういうことでもやってないとこんな馬鹿みたいな世界で生きてられないですよ」と言った。
 オシャレな会社のデザイナーを務めるある友達は2,3ヶ月に一度「もう死にたい」とメールを送ってくる。
 
 何かを作ることについて。
 何かを作るのが楽しいからそれをしているとか、ただ好きだからそれをしているのではなく、それをしないと生きていけない人がいると思う。
 もちろん「No Music, No Life」みたいな威勢のいいキャッチコピーとは別の次元の話だ。
 「クリエイティブ!!!」とか「DIY!!!」とか「ものづくり系女子!!!」みたいな明るいポップな装飾は社会に流通する媒体向けの化粧でしかなく、何かを作る他に空虚感や面倒さや死の誘惑から目を逸らす術を持たない種類の人たちがいて、たぶん僕も人種としてはそこに含まれる。だから、あまり「エンジョイものづくり!!!」みたいなことにはコミットできない。
 また、恋愛の高揚感が空虚感を埋めてくれていた若い時期を越えると、「作る」が占めるウェイトは急激に大きくなってくる(ここには「育てる」「探求」が入る人もたくさんいるのかもしれない)。
 
 1999年の終わり「もう消費すら快楽じゃない彼女へ」というエッセイを、ネット黎明期に活躍した作家の田口ランディが書いた。21世紀における消費の価値が低いことは既に常識に組み込まれつつある。20世紀後半、先進国の人々に人生観や価値観を提供してきた「広告」がすでに消費を離れつつあるからだ。そしてインターネットはこれまで見えにくかったありとあらゆる種類の生き方と価値観をワンルームのベッドで「仕事の終わった今日」が終わってしまわないように、明日の「これから出勤」が来ないようにと無理して開いている瞳へ、スマートフォンの画面を通じブルーライトをベース周波数にして注入する。明日の朝、彼女はいつもの駅では降りないかもしれない。
 もうそれは消費では誤魔化せない。
 
 「ファブ」とか「DIY」というトレンドがもたらすものは「より良い世界」でも「イノベーション」でもない、それはたぶん「赦し」に似た開放だ。
 人間はお金の話が好きなので、どうしてもイノベーションという言葉に引きずられがちだが、イノベーションという言葉は社会に概念を流し込むための糖衣だと思う。”お金は社会の血液”とかいう、分かったような比喩に便乗すれば、血液に乗らなければ全身の細胞へは到達できないということだ。
 
 ファブというものに1年関わってきて、僕の中に生まれたのは驚くことに自分に対する赦しと寛容さだった。
 詰まらないゴミのようなものだって、別に作ったっていい。そういう許しだった。
 一昔前であれは、詰まらないゴミみたいなものをちょっと作ってみようかなと思っても、実際に制作するには多大なコストが掛かるので手を着けないことが多かった。今更改めて言うと、デジタル加工機器はそのハードルを本当に下げたので、今は詰まらないゴミみたいなものをさらっと本当に作ってしまうことが可能だ。
 「この程度のもの」と自分で思うものを作った場合、それを人に見せるのはとても恥ずかしい。愛想笑いで「いいですね」とでも言われれば消えてしまいたい気分になる。だけど、自分の中からそれが出てきたこと、少しでもそれを作りたいと思ったことは事実で、「この人はこれを作った人」という認識を相手に持たれたとしたらそれは端的に正しいレッテルでもある。そのレッテルが自分の一部であることは、自分で認めなくてはならない。制作は自己表現なんかではないが、にじみだしてしまった自己の一部であることは認めなくてはならない。
 
 「そんなゴミみたいなものを作ってどうするの」と人から言われそうなものを、躊躇いなく作れる環境のことをファブと呼びたい。
 世界を良くしなくてもお金にならなくてもいい。ゴミみたいなものでもいい。つまんなくてもいいし、自分以外の誰も欲しがる人がいなくてもいい。
 作る。死なないために。絶望しないために。
 まるで暗い話みたいだけれど、誰かが絶望しないために作ったものが「なにこれ!?」って大笑いするしかないタヌキの箸置きだったりして、僕達は暗闇と光の調和を知る。
 「世界にはこんなにすでに要らないものが溢れているのに、さらに3Dプリンターでゴミを作ってどうするんですか? それってエコじゃないですよね。っていうかエゴですよね。あっ上手いこと言っちゃった」みたいなことを言われたら、中指でも突き立ててやればいい。
 どうしてもイノベーションという言葉を使うのであれば、ゴミみたいなものを人々が堂々と簡単に作れる社会の到来そのものがイノベーションなのだ。
 もちろん、イノベーションという言葉を使うときには一度中指を突き立てることを忘れてはいけないわけだけど。

連載小説「グッド・バイ(完結編)」26

(注)この連載についての説明は第一回目の冒頭にあります。
   第13回目までは太宰治が書いたものです。

・困惑(三)

 例のぬらつく部屋に、田島は悲壮な顔で上がった。ああどうか金毘羅様、ここにあって下さい。さもなくば僕はもう生きれません。信心なんてなんのその、カミもホトケもあったものか、傲岸不遜、冗談で貼りつけた金毘羅の御札に今頃お願いしている。
 でも、どこを見たって、ない。
「押し入れの中も、見せてもらう。」
「押し入れは、見るだけよ。指の一本触れたら、許しません。」
 左手で、さすがの田島もあの高貴を思い出し、そろりと開ける。シンデレラの楽屋は今日も綺羅びやか。でも、狭い部屋の、狭い押し入れ、一目でここにもない。
「もう、見たでしょ。部屋の中をジロジロ見られて気色が悪いわ。あなたのものなんてケチ臭くて下駄の片方も取りはしないわよ。」
 キヌ子は、潔白。へなへなと、田島は腰が砕けて、黒光りの魚臭い畳にしゃがんだ。田島はようやくガーゼを当てがって、案外上手に、口でクルクルと包帯を巻いた。ああ金毘羅様はちゃんと祀るべきであった。
「じゃあ、一万、ちゃんと頂戴。そんなに落ち込んだみたいな顔したって、貰うものは貰う。」
「お金は、ない。」
「だめよ、そんな嘘。お出し。」
「本当にないです。全部入った金庫が盗まれた。」
「あら、さっき上がって金庫がなければ出すって言ったけれど。」
「あれは方便だ。」
「うわあ、平気で嘘ついた。だからあなたなんて誰からも信頼されないのよ。」
「あのね、君ね、ちょっと僕は今それどころじゃあないのだけれど、その、お金が全部取られたのですけれど、あなたもお金の苦労は分かるはずだ。」
「また話を誤魔化して。あなたのお金が取られても知りません。だいたい金庫に入れて部屋になんて馬鹿みたい。」
「じゃあ、君はどこへ。」
「それを言っちゃあお終いじゃないの。」
 キヌ子はクツクツと笑った。
 そして、「探偵でもやとえばどうかしら。高いけれど。」

連載小説「グッド・バイ(完結編)」25

(注)この連載についての説明は第一回目の冒頭にあります。
   第13回目までは太宰治が書いたものです。


・困惑(二)

 キヌ子は包帯とガーゼを取ってきて、田島に渡した。もちろん、差し出さるるは右手。
「2000円に負けてあげるわ。」
「高すぎる、そんな人をバカにした値段。僕は怪我人だぞ。それも君のせいで。」
「じゃあ、いらないのね。」
「もらいます。」
 田島はケガが苦手。手が痛くてすっかり弱気。
「軟膏もあるけれど、ガマの油とか、もう2000円でどう。」
「えーい、それももらう、この冷血人間。」
「あら、あなたの方こそ、なんだか変に頭に血が上って。冷血の方がずっといいわ。」
「それよりも、ちょっと部屋に上がって、包帯巻いてくれませんか。」
 キヌ子が入れてくれないので、田島はまだドアの外。
「駄目よ。」
「駄目とはなんだ、怪我人に対して失礼じゃないか。包帯も自分じゃ巻けないし。僕は右利きだ。」
 お金も盗まれて、手も痛くて、もう言っていることがおかしい。
「包帯なんか犬でも口で巻くわよ。押しかけて来たくせに。」
 待てよ。部屋に入れないなんて。ますます怪しい。
「いや、部屋にはあがらせてもらう。断じて。これは、事件の捜査だ。」
「変な言いがかりつけて上がり込もうなんて、そうは行かないわ。上がりたいなら1万お出し。」
 こんな汚い部屋に上がるのに1万。ネギ1本でも買うほうがまし。しかし田島、追い込まれていて必死だった。
「よし、じゃあ、上がって何も無ければ1万払ってやる。もしも、金庫があったら、見てろ。」
「じゃあ、どうぞ。私も、あなたみたいな大根頭に言いがかり付けられたままじゃあ、うす気味悪くって昼寝もできないし」

連載小説「グッド・バイ(完結編)」24


(注)この連載についての説明は第一回目の冒頭にあります。
   第13回目までは太宰治が書いたものです。

・困惑(一)

「あら、田島さんじゃないの。」
 ドアから顔を覗いてキヌ子が言った。田島は右手を抑えてウグググと気味の悪い声を出しながら蹲っていて、眼鏡も床に落ち、なんだがかわいそう。
「ものすごい剣幕で誰か来たから、強盗と思ってドアに体当たりしたの。」
「き、きみね、、」
 田島はそれが精一杯。
「なに、痛そうにして、そんなに大袈裟にして、さては治療費を貰うつもりだな。」
 怪訝な顔でキヌ子は田島を見下ろしている。
「お、大袈裟とはなんだ、これは、もう骨まで折れたに違いない。手がどうにかなったらどうしてくれる。」
「これくらいどうにもないわよ。手加減したのに」
 手加減? あれで手加減? 田島は痛みに歯をくいしばる。
「あんまり強くして、ドアが壊れたら大家さんにいくら修理賃言われるかわからないから。」
「ひっ、血、血が出ている。これは、君、どう責任とってくれる。」
「責任なんて、あなたがドスンドスンやって来て急にドアを開けるのが悪いんじゃないの、知ったこっちゃない」
 あー、キヌ子を怯え上がらせてやろうなんて思ったのが間違いであった。このご時世、女一人の部屋に、脅迫の音をわざと立てて近づいたのは田島。急にドアを開けたのも田島。もう手が痛くて気持ちがしょげて、甲から血も出てるし。とりあえず、包帯でももらって。いや、ちょっと待て。キヌ子を驚かしたのには訳があった。えーい、この泥棒、ぬけぬけと、あら田島さんじゃないの、なんて。
 田島はようやく立ち上がって、「もう、手はいいです、ちょっと包帯だけ下さい。それでね、あなた盗んだな。」
「へっ、何のこと?」
「知らないふりをしても駄目だ、知っているぞ」
「盗むなんて、人聞き悪いことを。お金でもなくなったの? どうせあなたのことだから、どこかで酔っ払って使ったのを覚えていないんだわ。都合の悪いことだけ忘れて。お金がなくても包帯のお金は払ってもらう。」
 とぼけて、自分の負わせた怪我の包帯代まで払わせようなんて、このとんだ強欲。